木内卓己先生の訃報に接して

 今日、帰宅したら、ポストに木内卓己(きないたくみ)先生の訃報(葉書)が入っていた。亡くなったのは7月18日のことで、76歳だったらしい。私が高校1年生の時の担任であり、英語の先生である。今春、訪ねようと思って訪ねられなかった(→こちらに詳細)のは、この先生である。結局、2018年3月25日に、先生のご自宅でお目にかかったのが最後となった(→その時の記事)。
 私の場合、大学に入るために成績のつじつまが合ったのは、せいぜい高校生活の最後の半年間だけである。特に最初の2年間は、少なくとも学業に関してダメダメ高校生であった。もちろん、木内先生に担任としてお世話になった時はダメダメ高校生で、数学17点(14点だったかも)という高校時代の最低点数を取ったのも、その時期の話である。
 にもかかわらず、先生にはずいぶんかわいがっていただいた。在学中は言われたことがないが、卒業後に突然、「初めて会った時から、こんなに頭のいい子がいるのか、と思っとった」と言われるようになった。そのように言われる心当たりはまったくないが、先生が私に「よいしょ」をする理由も思い当たらない。
 私が高校を卒業した後、どこか1校を経て、西播地区を代表する有名校である姫路西高校勤務となり、その時に一本釣りされて私立の有名進学校である白陵高校に移られた。確か、そこで定年を迎えられたと記憶する。
 先生の授業は素晴らしかった。当時30歳という年齢もよかったのだろう。テキパキとしたリズム感あふれる進行で、生徒に気を抜かせない。テキストに出て来た新しい語句を使ってすぐに短文を作らせ、語句を使いながら憶えさせていく。おそらく、今の私にも、あのような授業は出来ないな、と思う。先生が、姫路西高や白陵高校に引き抜かれたことには、そのような授業力に対する評価があったはずである。教員としてはかなり幸せな人生を歩まれたのではないか。
 一方、私生活においては、苦労が多かったようだ。2004年には、まだ50代半ばで奥様を亡くされた(→その時の先生の手記)。お子様が二人いたが、一人はろうあ者であった。ご自身も、ちょうど定年を迎えられた頃からパーキンソン病を患い、悠々自適とは正反対の不自由な生活、苦しい闘病生活を続けられることになった。
 私は、先生に教えていただいた英語とはほとんど縁のない学問を専攻したし、先生から教えていただいたどのようなことが何の役に立った、というようなことは言えない。よく分からないのだ。ただ、先生から大事にしていただいたということ自体が、自分が自己肯定感をもって人生を歩んでくる上で、大きな力になっていたような気がしている。感謝に堪えない。
 今春、お会いできなかったことから、一度息子さんにお手紙を書いてみようかと思いつつ、だらだらと先送りしているうちに、訃報を受け取ることになってしまったのは残念だ。今や、心の中で手を合わせる以外に何も出来ない。合掌。