無情であり無常

 最近、体調すこぶるよろしい。基本的には、C型肝炎が9年前に治った後(→C型肝炎の記録)、肝臓に蓄積されたダメージが徐々に回復して、本当の意味での健康体になったからだと素人判断している。それが正しいとして、慢性肝炎というのは恐ろしいものだな、と思う。当時は「自覚症状なし」と思っていたのだが、症状の発現が非常に緩やかで、気付かなかっただけなのだ。ウィルスの駆除に成功したという診断をいただいた当初、体が軽くなったような気がし、不眠傾向もなくなりつつあったが、結局、それらだけの問題ではなかったのだ。そして9年。傷んだ肝臓が回復するのには、これだけの時間が必要なのだとつくづく実感している。昨年11月以来の生活大改善運動による体重減少や、生活習慣病傾向の解消も多少は影響しているかも知れない。
 先週金曜日の夜から兵庫県に行っていた。帰って来たのは今朝である。往復ともに夜行バス。こんなことは、以前なら絶対にしようと思わなかった。今はさほど抵抗なくできる。今日だって、帰宅後、昼寝なんかしていない。
 元々は、「高校時代の恩師を訪ねる旅」であった。高校1年の時の担任K先生が、宮城県に知人がいるから、その人を訪ねるついでに平居の所にも行くぞ、とおっしゃっておられたのだが、数年前からだっただろうか。パーキンソン病を患い、体の自由が利かなくなった。年賀状に、もう宮城を訪ねることはできないが、君には会いたい、というような文言が毎年繰り返されるようになった。
 K先生からはずいぶん可愛がってもらった。体調もずいぶん悪そうだし、一度お見舞いのつもりでお訪ねしようか、と思い、今年の年賀状に、「春先にでも伺います」と書いた。「そのうちに・・・」と言っていると、いつまでも先延ばしになるので、わざと引っ込みがつかなくなるようにしたのである。
 2月20日頃に、一度ご都合伺いで電話を差し上げた。驚くほど以前と変わりのない、若々しい声だった。ところが、話がちぐはぐでかみ合わない。間もなく「あ、今替わります」と言って、相手が変わった。どうやら電話に出たのは息子さんだったようだ。もう15年くらい前に奥様を亡くされ、一人暮らしをすると聞いた記憶があるので、まさか息子さんが電話に出るとは思わなかったのだ。若い頃の先生の声にそっくりだったことも、私に誤解させる原因となった。電話口に出られた先生は、一転、これが本当にK先生だろうか、と思うほど老人然とした声であり話しぶりだった。
 前回、お目にかかったのは20年近く前。姫路駅から約2㎞、姫路城の裏手にある先生のご自宅に近い喫茶店でだった。その時は先生が場所をそこと指定されたので、自宅は訪ねない方がいいのかな、などと思いながら、今回は私の方から「姫路駅界隈でお食事でもご一緒しながらお話ししませんか?」とお誘いしてみると、「とても姫路駅までなんかよう出ん(=出られない)」との答えが返ってきた。よほどお悪いのだな、と思った。
 日曜日の夕刻、私は先生の自宅を訪ねた。衝撃を受けるほど体の自由が利かなくなっていた。パーキンソン病というのは、原因不明の難病だと知っていたが、これほど残酷に症状の出る病気だとの認識はなかった。認知症を併発することも多いというが、K先生の場合、幸いにして頭は非常に明晰。記憶もはっきりしていれば、論理的にも混乱のないお話をされる。だからこそなおさら、かろうじて自分のことが自分でできるというだけの現状は、ご本人にとってつらいことだろう。もっとも、病気だからこそ若くして(70歳)不自由な生活となっているが、病気がなくてもあと15年もすれば同様の状態になる。私が高校に入って先生と出会った時、先生は30を過ぎたばかりのはつらつとした時期だった。その時の印象が非常に強いから、あの先生でもこのようになるのか、病気に罹るにしても年を取るにしても、この世は正に「無常」なのだ、という哀しい感慨は強かった。
 「平居、おまえ何歳になった?・・・あぁ、そうか。その割にずいぶん若いな。」とおっしゃるので、「この1〜2年でずいぶん白髪も増えましたけど、そう言っていただけるのはありがたいことです。欲が深いからでしょうね・・・」と答えた。先日、石巻在住の退職教員A先生にお会いした際、A先生は「最近は意欲というものが湧いてこない」とぼやいておられた。欲があれば生活に張りがあり、若さを保つことも多少は可能かも知れないが、その欲もやがては衰える。欲が衰えれば老化も早まる。肝炎が治っても、生活改善をしても、結局はやがて衰え、自由を失っていく。K先生との会話の内容とは関係なく、そんなことに対する哀しみが大きかった。
 先生の自宅にいたのは2時間あまり。私が関西にいたのは実質3日間。残りの時間は何をしていたの・・・?それはまた明日。