学校は近い方がいい

 我が娘が、今春高校に入学した。我が家から徒歩10分の県立高校である。「ブラック部活」だと言いながら、硬式野球部のマネージャーになり、喜々として学校に通っている。親として非常に安心。いいなぁ、と思う。
 宮城県では、11年前に学区制が撤廃された。今は、県内どこからでもどの学校にでも通える。私は基本的に、仙台市内の高偏差値校が全県から生徒を集めてますます「名門校」になるためのエゴだ、と思っている。なにしろ、政策決定に関わる人たちや郡部からそれらの学校に子どもを通わせたいと思っている親の多くは、それらの高校出身者と思われるからだ。
 どの程度の変化が起こったのか、客観的なデータは知らないが、毎日、仙台行きの電車で通勤している私は、石巻から仙台に通っている高校生の多さに驚く。制服を着ていればどこの高校の生徒なのかはもちろん分かるし、私服でも、車内で高校の参考書や教科書を開いていればそれと分かる。私服の高校生はほとんど、かの高偏差値校の生徒だ。私立高校の経営戦略も、県の学区制廃止も、思惑通りの成果を上げているように見える。
 当然、成績優秀者が仙台通いを始めれば、郡部の高校は地盤沈下を起こす。「成績が全てではない」というのは「きれい事」である。子どもの成績は、親の所得・学歴と密接に関係し、運動能力や自己管理・自治能力とも強い相関がある。成績優秀な生徒を集めた高校は、好循環を起こして何から何まで上手くいくが、そうでない生徒を集めた学校は、その逆の道をたどる。
 娘の進学先を決めるに当たっては、親子共々あまり迷いがなかった。幸か不幸か、成績が極めて平凡だったからである。仙台市内の私服の学校に入ることは難しい。
 一方、息子が高校受験の時は悩むだろうなぁ、と思っている。こちらは、成績がかなり優秀と思われるからである。少子化と学区制撤廃で斜陽化する石巻の高校なんかに入れていいのかなぁ?高校卒業後のことを考えると、仙台市内の私服の高校に通わせた方がいいんじゃないかなぁ・・・ということである。
 徒歩10分の高校に通う娘と、電車の中で見る高校生を比較しながら、最近その考え方が揺らぎ始めている。学校が近いのはいいなぁ、ということだ。だったら、仙台市内に下宿させる?う~ん、それもなかなか経済的、精神的負担が大きく、リスキーだ。
 思えば、歴史に名を残しているような人物たちも、出身・履歴は様々だ。どんな田舎の出身で、劣悪なる環境で成長しても、芽を出す人間はどこかで芽を出して大きな仕事をしている。それを見ていると、人間が最終的にどれだけのことをするかは、途中どこで目覚め、努力し、伸びるかも含めて、持って生まれた資質と運によって決まるように思われる。それが本当だとすれば、往復4時間、経済的・時間的に大きな犠牲を払いながら、わざわざ仙台市内に通うのはバカげている。
 しかし、郡部の学校にも、仙台の私服の学校にも勤務した経験のある私としては、卒業生の質を見比べながら、やはり高偏差値校に行った方が面白い人間関係を作れるような気はする。もっとも、私は部活のOB会などで付き合う人たちだけを見ているから、多少そういうことを感じるのかも知れない。高校卒業後一人遠隔地に来て、高校時代の人間関係をほとんど失っている私のような人間もいて、そんな人間から見れば、人間関係なんて高校だけで出来るわけではないのだし、平均値で考えるわけにも行かないのだから、あまり重要視すべきでないようにも思う。
 それでも、失礼ながら「こんなところにいていいのかなぁ?」という漠然とした不安感から、完全に抜け出すことは難しい。というわけで、息子の進学先については今後もあれこれ悩むのだろうけど、やっぱり、学校は近い方がいいなぁ。