剣岳・点の記



 7月に、久しぶりに映画館で映画を見た。『剣岳 点の記』という作品である(原作は新田次郎の同名の小説。私は大昔に既に読んだことがあったが、少なくとも細部はほとんど忘れていた)。ずいぶん評判になった映画であるが、それは昨今の中高年の登山ブームの恩恵を被ったというだけのことで、あまり優れた作品には思われなかった。

 この映画の内容は、今日の話に必要な点だけごく簡単に書くなら、明治時代、陸軍陸地測量部(現・国土地理院)の技官・柴崎芳太郎率いる測量隊と、小島烏水率いる日本山岳会が、北アルプス剣岳の初登頂を目指して争い、前者が勝った、というものである。ふ〜ん、こういう歴史があったのかぁ、軍の威信を背負うとなると地図作りも大変だなぁ、などと思いながら映画館を出たのであるが、帰る道すがら、あの話は本当にあったことなのかな?という疑念がふと生じ、9月の半ばくらいから、身の回りにあった北アルプスや日本の登山史に関する本を少しずつ読んでいたところ、それは全く根も葉もないデタラメ=作り話であることが分かった。そんな初登頂競争は存在しないし、測量隊が最初に剣岳の頂上に立った時、柴崎技官は同行しておらず、小島烏水に至っては、生涯剣岳に登っていない。実在した人名、団体名、そして地名ばかりが出てくるため、すっかり騙されてしまった訳だ。

 私の周りで、この映画を見た人は多いので、面白半分で探りを入れてみた。「あの話本当だったと思う?」などと尋ねるとこちらの意図がばれるので、「陸地測量部も山岳会と競争までしなくてはならないとなると大変だねぇ」などと鎌を掛けるのである。答えは予想通り、10人中10人が「本当だねぇ」みたいなことを言い、あの映画の内容を全く疑っていない。こうして「剣岳初登頂競争」は、あたかも史実のような地位を獲得してしまうのであろう。映画、小説とは罪作りなものである。

 しかし、これは本当に罪作りなことなのだろうか?それを鵜呑みにしてしまう我々の側に非はないのだろうか?いや、私は鵜呑みにする側の責任こそ真面目に考えた方がいいような気がする。なにしろ「小説」がフィクションであることは常識であり、実在の人物や団体が登場するくらいで本当だと信じてしまうのは非常に危険で、マインドコントロールのいい餌食になってしまいそうな心性だからだ。こんな状況は、いつでもどこにでもあることだろう。