渡波で行われた卒業式



 昨日は、県内の公立高校すべてで卒業式が行われた。我が水産高校は、3学年PTAの強い要望により、渡波の元のキャンパスで卒業式を行った。体育館は床下浸水だったし、建物もさほど傷んでいないのでいいのだが、例によって電気が来ておらず、トイレも使えない。事前に全校生徒を渡波に集めるわけにもいかないので、式場準備にも工夫が必要。結局、考査中の1、2年生は動員せず、前日に3年生だけが渡波に集まって自ら式場準備を行うという変則パターンとなった。もちろん、電気は自家発電機、トイレは仮設である。

 式には、大量の報道陣が詰めかけた。まるで、卒業生の中に石川遼級のスターがいるのではないかと思うほどである。もちろん、被災した学校が、元の校舎で卒業式を行うという話題性によっているだけで、とりもなおさず「白菜」が「山東菜」になるという現象(2月11日記事参照)に過ぎない。夕方の地方・全国両方のTVニュースでも放映されたし、今朝の新聞でも水産高校を写真入りで取り上げているものが多かったので、水産高校関係者以外、いや、宮城県外の人でも目に止めた人は多かったのではないかと思う。

 今年の卒業生は、丸2年間、渡波の校舎で高校生活を送っているわけだから、保護者も含めて、渡波で卒業式をという気持ちは理解できる。一方、それに比べると愛着が少ないはずの1・2年生にしても、来年度中に渡波に戻り、将来的にも宮水はそこに存続することが決定している以上、自分たちの本拠地がここなのだという意識を持つことにはそれなりの意味がある。そのためにも、渡波での卒業式には意義があった。

 生徒会誌『錨想』誌上で、餞として私が卒業生に贈った言葉は、以下の通り。


「卒業おめでとう。人生に迷った時には「損」な選択をせよ。それが「正しさ」に近づく道である。」


 本当は、「〜人生に迷った時は「少数派」に付き、「損」な選択をせよ〜」とすべきであった。