NHK特集「三陸大津波 忘れられた教訓」



 3月11日の石巻は大変なことになりそうだ、鬱陶しいから脱出しよう、と思っていたのだが、石巻にいなければならない事情があって、離れられなかった。

 眼下の南浜町は、朝から、いつもにもましてたくさんの人が詰めかけていた。以前そこに自宅があった人々、というのではないようだ。なぜなら、大半の人は門脇小学校周辺ばかりをうろうろしているからである。

 昼過ぎになると、ヘリコプターが飛んできて旋回し始めた。どこからか太鼓の音がする。拡声器を使って路上駐車に警告する警官の声が日和山から聞こえてくる。うるさい。

 久しぶりで走りに行ったついでに、「恐いもの見たさ」で日和山に寄った。14:30頃である。大きなテントが建てられ、神式で慰霊祭が行われていた。ごった返している。チョコバナナ、大判焼き、フランクフルトの屋台が出ていた。あまりにも多くの観光客が来るからだろう、木がたくさん刈り払われ、南浜町方面の見晴らしがとても良くなっていた。

 14:46までには家に戻った。サイレンが鳴ってから南浜町を見ていたが、黙祷しているのは8割くらいで、残りは、けっこう気楽に散歩を続けていたり、写真を撮ったりしている。子どもを立ち小便させている光景(仕方ない)がご愛敬。私は、「玉音放送」状態になると思っていたので、少し安心した。この時間が過ぎると、市内全域で人が一斉に動き始めたのだろう。人の住んでいる家が一軒もない南浜町で、車が大渋滞を起こし、しばらく続いた。ヘリコプターはまだ飛んでいる。

・・・・・・

 テレビはうるさいのでつけないが、新聞では、今日も「教訓」という言葉をずいぶん目にした。昨日の続きみたいな話だが、書き留めておこう。

 我が水産高校図書室で、昨年の夏休み前頃だったか、某先生が面白いものを見つけた。昭和56年6月15日放映のNHK特集をDVDに収めたものである。その時にも借りて帰って見たのだが、最近、友人に見せてくれと言われたので、また借りてきて我が家で見せていた。タイトルはズバリ「三陸津波 忘れられた教訓」(笑)。明治29年6月15日20:07に三陸沿岸を襲った大津波の様子を、岩手県山田町の巡査の記録によって再現するとともに、現地調査をしながら実態を明らかにし、その教訓が生かされているかどうか検証した番組である。

 これは恐ろしい津波である。今回と同規模の津波であるにもかかわらず、その前に大地震が発生していない。震度1からせいぜい3までかと思われる小さな地震が、何時間かの間に繰り返されている。今回ほど大きな地震があれば、防災無線など聞こえなくても、津波の心配をするのが当たり前だと思うが、明治29年の地震では津波を予想する材料が甚だ乏しい。しかも夜である。死者は27000人。

 今回の津波だって、夜に来ていれば、倍以上の人が死んだのではないかと思う。それほど、津波を見てから逃げた人は多い。

 番組では、後半に、その後の津波対策を取り上げる。田老町で10mの防潮堤を作り、水門も高台にある施設から遠隔操作で閉められるようにしたことを、三陸ならではの津波対策として評価するような取り上げ方をした上で、しかし、明治29年にこの地を襲った津波は15mであったとして、その万全性に疑問を呈する。しかも、防潮堤の外側に新しい家が建ち始めている。果たして、大津波の記憶はどこへ消えたのか・・・?

 そうなのである。今回の震災に基づく「教訓」とその継承が声高に叫ばれるが、大津波は今回が初めてではなく、かつての被害者も教訓を後世に伝えようとはした。そして、80年以上経ってから、御丁寧に、公共放送がこんな特集まで組んでいる。しかし、おそらくそれに注目し、我がこととして感じた人は少なかった。

 昔の人はバカだったから、教訓を伝えきれなかったのだろうか?そうではない。印象鮮明な時に、或いは、実際に体験した人が「教訓」を叫ぶのは簡単だが、実際に体験していない世代にそれを伝えることは、難しいのだ。切実なこととして実感のない後人の側に、先人の教訓を学ぼうとする積極的な姿勢がなければならないし、文献を読んだり人の話をじっくり聴いたりという作業が必要になる場合も多い。多くの人の生き方が刹那的で安易であるのに対して、教訓を知り生かすという作業は面倒なのである。

 たかだか1年前の出来事について「教訓、教訓」と叫んだからといって、将来へ向って何が保証されるわけでもない。それなら、頭を冷やし、学校の勉強でも地道にしっかりやって、言語を通して過去の出来事を知り、そこから自分で教訓を抽出するという作業をトレーニングするに限る。