その後のことは「社会現象」である



 明日で震災から1年になるという。最近、震災に関する身の回りのことについて書かなくなった。そんな私の頭に毎日のように浮かんでくるのは、2008年に、益川敏英氏がノーベル物理学賞を受けた時のコメントだ。

「私の喜びは、私たちの理論の正しさが実験で証明された時にこそあった。(ノーベル賞のような)その後のことは社会現象に過ぎない。」

 今月に入ってから、テレビでも新聞でも雑誌でも、たくさんの震災1周年特集が組まれている。我が家から見える石巻で最大の被災地・南浜町は、連日多くの人々が押し寄せている。バスだけでも1日に30台以上、屋台でも並びそうな雰囲気だ。各地では、様々な1周年記念企画が進行している。私には、まったくただの「社会現象=流行」に見える。それらがヒートアップすればするほど、私はそれらに背を向けようと反応する。真実は、昨年の3月11日に起こったこと、そして家族を亡くし家を失った本人の内にだけある。

 まだ1年しか経っておらず、震災の記憶が鮮明だからこそ、「震災を忘れない」などというお題目が唱えられるのであって、大きな出来事でも、忘れられたらお題目は唱えられなくなる。そして、人間は物忘れの激しい生き物なのである。決して悪いことではない。何でもかんでも覚えていては、正気を保つことも難しい。ただ、本当に何かを今後に生かしていきたいと思うなら、記憶鮮明な震災についてお題目を唱えるよりは、私たちが、なぜ過去の大事件の記憶を風化させてしまったのかを考え、今からでも、過去の大事件から何を学ぶべきだったのか検証した方が、よほど賢くなれるに違いないと思う。それが出来ないのは、今回の震災も、やがてはそうなることを意味している。

 話は変わるようだが、昨日から今日にかけて、とある事情があって、私は初めて、もうすぐ4歳になる息子と二人で丸1日を過ごした。そして昨夜、息子が眠りについた後、静かな家の中で、ふと昨年3月12日のことを思い出した(以下、昨年3月26日の記事を併せ読んでいただきたい→こちら)。

 震災の翌日、同僚たちが市内各方面に出向き、学校に戻って自分が見たことを語り合い、ようやく、どうも世の中では本当に大変なことが起こったらしいと分かった。その時、震災から丸1日経ってから、私は家族の身の上を深刻に案じ始めたのである。子ども二人は同じ場所にいたし、妻がいたと想像される場所の方がはるかに危険だったので、私の頭には、「妻が死んで子どもが生き残る」と「3人とも死んだ」という状況ばかりが思い浮かんだ。「妻は生き残り、子どもたちは死んだ」という可能性は考えなかったが、一方で、妻さえ生きていれば、また子どもが出来る可能性はあるが、子どもだけが残ったら、私は子どもを健全に育てきる自信はない、そう考えると子どもより妻だな、などと考えてもいた。「不謹慎」と言われかねない考えであるし、今思えば、当時の自分の考え方としても理解しにくい気がする。

 もちろん、最終的には全員無事だったわけだが、息子と二人だけの昨夜、妻と娘が死んで、息子だけが生き残ったという状況を想像してしまい、冷や汗の流れる思いがした。たまたま一日だけだからいいようなものの、延々とこの状態が続き、妻も娘も二度と帰って来ないとしたら・・・、と考えると、やはり言いようもなく恐ろしかった。

 我が家のすぐ近くに「日和幼稚園」という幼稚園がある。そこの通園バスが、津波に呑み込まれ、園児5名が亡くなった。これは現在訴訟になっているが、山の上にある幼稚園から、いくら保護者の元に帰すとはいえ、山を下り、海の方に向ってバスを走らせた幼稚園の判断は、やはり責められても仕方がない。大川小学校とはわけが違う。それはともかく、そのバスが園児の遺体とともに見つかった場所もまた我が家の近くで、私は毎日その場所を通って通勤している。

 いつも色々な物が供えてある。遊具であるとかジュース類であるとか、花であるとか・・・。昨年末以来、ずいぶん長い間、小さなクリスマスツリーとお菓子の入った赤いサンタ靴が置かれていた。その後、何かの事情で、保護者はもうこの場所に来るのを止めたのかなぁ、と思っていたところ、今日、クリスマス用品が片付けられ、代ってたくさんのイルカ型風船(?)他が飾ってあった。

 私はこの場所を通るたびに辛い。同じ年頃の子供を持つ親として、朝、何気なく見送った可愛い盛りの子どもが、二度と帰ってこないという現実を受け入れることの厳しさを、ひしひしと感じるのだ。それは親を失うのとは次元が違う悲劇である。

 現在の、熱に浮かされたような震災という「社会現象」は、急速に冷めていくだろう。それに伴い、現在、いろいろな脚色を加えながら報道を加熱させているマスコミも、やがて目を向けなくなるだろう。大衆なんてそんなものだ。しかし、家族、特に子供を失った悲しみは、それらとは比較にならないほど心の奥底に食い込み、当事者を苦しめ続けるに違いない。しかし、誰もそれを癒すことはできない。最終的には本人が何とかして乗り越えるしかない。それは、震災の被害(だけではなく、あらゆる出来事ですね)というものの性質を象徴している。子供を失ったわけではない他の人々についても、「最終的には本人が何とかして乗り越えるしかない」というのは同じなのだ。

 1周年を盛大に記念するのはいいことにしよう。だが、これを一つの区切りとして、「社会現象」が収束してくれることを望む。それが、被災者が真剣に自分の苦しみと向き合い、やがては自力で乗り越えていくためにも必要だ。そして、社会全体が冷静を取り戻し、災害対策を口にしなければ許されないような風潮、100年か1000年に1度の津波や自然災害への備えにあくせくし、膨大な投資をすることのバカバカしさにも気付いていくべきだろうと思う。