山本作兵衛画文集『炭鉱に生きる』



 仮設校舎の図書室は狭い。教室半分の大きさしかない。その割りに、面白そうな本や新刊書がバランスよく揃っているのは、司書A先生の高い能力と向上心とによる。

 1ヶ月ほど前、新刊書の中に、山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人間記録』(講談社、2011年)という本があるのが目に止まった。A先生に貸し出しを頼むと、「まず平居先生が借りると思っていました」と言われてしまった。やられた!読まれている。

 言うまでもなく、山本作兵衛は、昨年5月、その絵がユネスコの「世界記憶遺産」に登録されて、一躍有名になった。この本も、初版は1967年であるが、その時は、ほとんど注目を集めることはなかったのだろう。「世界記憶遺産」をきっかけに、昨年7月に新装版が出版された。9月にはもう5刷となっている。私は、「世界遺産」であれ「日本百名山」であれ、お墨付きがあることで飛び付く精神が大嫌いだ。しかし、山本氏の絵については、「記録」として、以前から見てみたいと思っていた。この場合、「世界記憶遺産」に指定されたから見るのではない。指定されたことによって見やすくなったことを喜ぶ。

 3回読んだ。とても苦しかった。炭鉱は、働く場所が地底だというだけでなく、この世の最底辺なのだということが、ひしひしと感じられた。「労働条件」はおろか、「人権」という言葉さえ存在しないかのようだ(日本人にしてこうなのだから、大陸から徴用されて来た朝鮮人労働者がどれほどの生活を強いられたかは、想像を絶する)。「富国強兵」が声高に叫ばれ、日清・日露戦争の勝利に酔いしれ、人々が日本の躍進で意気揚々としている時に、それを彼らが地の底で支えていたのだ。

 私は、若い頃は、社会に不満があったら自分たちで変えていけばいいのだ、と思っていた。だから、「この時代に生まれてよかった」とか「不幸だ」とかいった他力本願な表現には、反感を感じていた。ところが、最近は、社会は人の意志で簡単に変わるものではない、人は与えられたものを受け入れ、それを背負って生きていくしかないのだという消極的な考え方が、少しずつ強まっているように思う。歳のせいなのかどうか・・・?

「生かさぬように殺さぬように」管理され、その日その日を食う以上の金を持てなかった炭鉱の人に、社会改革のために立ち上がることを求めるのは酷である。それが最も必要なのが彼らであるにもかかわらず、それが上手くいくことの絶望的に低い確率と、そのために費やさなければならないあまりにも大きなエネルギーとを考えると、やはり彼らは、あの苛酷であるが上にも苛酷な生活を受け入れ、耐え忍ぶしかなかったのだと思う。そのような事情が、山本氏の書く文と絵から伝わってくる。私が感じる苦しさは、彼らの生活の貧しさ、汚さ、仕事の過重と危険性といったものについてだけではない。それが改善される可能性のなさを、彼らの立つ位置から見てしまうことにあるようだ。

 山本氏の絵は素人臭いが、峻烈な炭鉱での生を描きながら、どことなくユーモアを含んでいる。味わいがあると言ってもよいかも知れない。しかし、この本は四六版で、絵も大半が白黒である。また、「記録」に対する意識が非常に強かった山本氏は、全ての絵の中に解説を書き込んでいるが、縮小されているために、字が小さくてなかなか読むことができない。本文にほぼ同様のことが書いてあるので、手頃な価格(1700円)に抑えるためにそうしたのかも知れないが、やはり残念である。

 目を覆うばかりの苛酷な人生を歩みながら、晩年、約700点もの記録画を描き、文章を書いて、92歳まで生きたというのは、「あっぱれ」と言う他ない。私は、その強靱な精神と肉体とにも圧倒される。