総論反対各論賛成



 自民党のしようとしていることなんて全て間違いだと思い、連日、テレビのニュースで得意顔の首相の顔を見ることに甚だしい不快と苦痛とを感じている私であるが、めったにない機会なので、最近接したニュースの中で、二つ、私が自民党を評価していることを書いておこう。

 一つは、先月の20日頃、千葉市内の小中学校へのエアコン設置を求める請願を、市議会が否決した、というものである。共産党を除く全会派による否決らしい。自民党の反対理由は「強い精神をつけることも必要」というもので、これに共産党議員が異を唱えたことから、多少の波風が立ったようである。

 だが、夏は昔から暑いのだ。最近の暑さが昔とは比較にならず異常だというのなら、それは温暖化・都市化という人為によってもたらされたものである。暑くて苛酷だと言って、エアコンという人工的な手段でその苛酷さを回避すれば、環境の苛酷さと人間のひ弱さのギャップはますます大きくなる上に、環境の悪化は加速する。ここは少々つらくても、申し訳ないが、病人や死者が出ようとも、じっと耐えさせるしかないのだ。それが、将来生き残る人間を最も多くする最善の方法であろう。対策を施すとすれば、長期的な視野に立ち、生徒一人当たりのスペースを広くし、窓が大きく風通しがよかったり、軒が深く照り返しが入りにくい構造の教室を作ったり、大胆なレベルでサマータイムを実施して、今の午前中に授業が終わるようにするなどがよい。

 自民党の「強い精神」と同じかどうかは分からないが、精神は重要である。最近の「熱中症」に関する大騒ぎは、熱中症を誘発していると思う。真夏の炎天下で「水を飲むな」と怒鳴られながら部活をしていた40年前の人間と、今の人間が、別種の人間であるわけがない。耐えるしかない、そんなものだ、と観念することは必要である(参考→その1その2その3)。

 千葉市内の全ての公立小中学校にエアコンを付けようとすれば、多くの需要が生まれ、大きなお金が動く。自民党は、そういうことには目がない政党のはずである。だからこそ、今回の「反対」はあっぱれなのだ。

 二つ目は、同じく6月20日頃に、自民党の「無電柱化小委員会」が、電信柱を地中化する方向で中間とりまとめ案を作成した、というものである。それによれば、「電柱が立っている状態を普通とする日本の常識を打破し、電柱がないことが常識となる意識改革を進める」とし、来年「無電柱化基本法(仮称)」を国会に提出することにした、ということだ。

 昔から、日本の文化的後進性を象徴するのが歩道橋(参考→こちら)と空中電線であると主張し、昔から「日本空中電線撲滅協会」会長を自称する私(参考→こちら)としては、ようやく世の中が私の言うことを理解できるようになってきたか(笑)、との深い感慨を抱いた。

 ただし、電信柱と空中電線だらけの醜い町並みを作ってきたのも自民党だし、「日本の常識」と言えば、先日のOECD国際教員指導環境調査(参考→こちら)に表れた日本の教員の職場環境など、他の多くの「非常識」にも目を向けてくれなければ困る。だから、「電柱が立っている状態を普通とする日本の常識を打破し、電柱がないことが常識となる意識改革を進める」などと、いかにも上から目線で、偉そうに改革者面をしてもらっては少々不愉快である。だが、電柱をなくそうとすること自体はやはり評価できる。

 自民党という「金と権力こそ全て」という政党に、私が賛成できることはほとんどない。だが、「総論反対各論賛成」。時にはその「各論」がある。