ニッカヰスキー宮城峡蒸留所

 ゴールデンウィークの最後の2日間は、母の80歳のささやかなお祝いの宴を開くということで、作並温泉に行っていた。何かプレゼントを、と欲しい物を尋ねたところ、「いまさら冥土の土産に物なんかもろてもしゃあない」と言うので、ならば温泉旅行、となったものである。
 昨日、東京から来た身内が、予約した新幹線の時間まで余裕があるというので、どこへ行こうかと考え、温泉からほど近いニッカ・ウィスキーの仙台工場へ見学に行くことにした。私は、30年あまり前に1度、工場構内の河原で開かれた、研究室御用達の居酒屋のお客様感謝デーの芋煮会に参加するため(笑)、訪ねたことがある。
 この工場の正式名称は「ニッカウヰスキー 宮城峡蒸留所」である。ニッカの創業者・竹鶴政孝とその妻でスコットランド人のリタに関する物語が、朝の連続テレビドラマになったおかげで、ここを訪ねる人も相当増えたようだ。工場とはいっても、予約もせずに訪ね、30分毎に組まれた約1時間の無料ツアーに参加して、見学・試飲することが出来る。この点は、30年前も同じだが、今は更に、列車の到着に合わせてJR仙山線作並温泉駅から無料の送迎バスも走っている。このようなサービスをすることで、会社にどれくらいの見返りがあるのかは知らない。案内スタッフは30人もいるらしい。構内のショップで多少の物は売れるにしても、赤字前提のファンサービスと見えた。
 製造工程をひとしきり見学した後、構内のメインストリートで立ち止まると、案内嬢が「風景がすっきりと美しいのが分かっていただけますか?」というようなことを言った。工場とは言え、確かに風景として美しい。いかにも高原のおしゃれな建築群といった感じだ。案内嬢は、少し間をおいた上で、美しさの理由を説明してくれた。

・元の地形を最大限利用する。
・木は出来るだけ切らない。
・建物は外壁を赤煉瓦にする。
・電線等はすべて地中に埋め、電信柱は立てない。

 私の心がひときわ反応したのは、最後の「電信柱」である。なにしろ、私は日本空中電線撲滅協会の会長なのだ(→参考記事)。だが、それだけではない。ツアーで見学した随所で、竹鶴の「ウィスキーは自然によって作られる」という信条を聞かされたが、それは、水がどうとか樽の木がどうとかいうだけではなく、工場全体をどう作るかというところにまで徹底されている、ということなのだ。私には非常に健全で立派な思想に思える。これが、竹鶴自身によって見出された信念なのか、若き日にウィスキー作りを学んだスコットランドの文化であり思想であるのか、それは私には分からない。だが、水や木や気候といったものと向き合い、本当によい品質の物を作ろうと思えば、必ずたどり着く境地であると思える。
 残念ながら、お酒大好きな私も、ウィスキーという酒は最も苦手の部類に入る。消費量は、数年に1本くらいだろう。竹鶴政孝がこれほどの信念に基づき苦労した結果として、良質のウィスキーが製造されるようになったとしても、その恩恵を受けるとはあまり言えない。だが、そういうこととは関係なく、工場の設計やウィスキー作りへの情熱には共感と畏敬とを抱く。これは特殊性を突き詰めたところに本当の普遍性があるという、伊福部昭(→こちら)や加藤周一の言っていたことでもあるのだ。まったくそのとおり。