無言館・・・石巻での展示会と講演会



 石巻で「無言館」の所蔵作品展というが開かれている。私は、20日に絵を見に行き、今日は、館主・窪島誠一郎氏の講演を聴きに行った。

 「無言館」とは、戦没した夭折画家の遺した絵を展示している私設美術館で、長野県上田市にある。1997年の開館。私は行ったことこそ無いものの、開館当初から、何かと話題になった美術館なので知っていたし、5年前に、友人からその画文集を2冊もらったことがあって、収蔵作品の一部については見たこともあった。一度行ってみたいと思いながら、その機会を得ることも出来ないまま、ずるずると日が経っていた。

 初めてこの美術館について耳にした時、その収蔵作品は、ただ単に戦死した「かわいそうな」人たちが遺した絵としてのみ価値を持つのだろうと思った。しかし、もとより私は絵の質を見極めるほどの眼力は持ち合わせていないが、画文集で一見してみると、その絵が素人離れしたものであることだけはよく分かる。描いた若者たちの経歴を見て、実は大半が東京美術学校(現東京芸術大学)を始めとする美大で専門教育を受けた、プロの画家の卵であることを知った。なるほど、確かに、絵に表れた彼らの実力には、「原石」としての魅力並々ならぬものがある。

 戦争というのは、多くの豊かな才能を持つ人材を殺したのだな、と思う。もちろんそれは、美術という分野に限らない。あらゆる分野で多くの人材が失われたのだ。今更ながらに、そのことを痛ましく思う。今回、収蔵作品のわずか5分の1ほどを展示した作品展を見ても、その印象は何も変わらない。同時に、残されたわずかな時間の中で、命を注ぎ込むようにして描かれた絵は、一瞬一瞬を大切に生きることの大切さや、絵を描いていられるという平凡な自由の尊さを教えてくれる。そのことを見る者に訴える力に関し、実物は画文集の比ではない。その感動は大きかった。

 館主窪島氏の講演会は、石巻中央公民館で行われた。最初の30分は、退屈して居眠りなどもしていた私だったが、その後、窪島氏の人生経験を踏まえた話になると俄然生彩を帯び、私は話にのめり込んだ。高校生に聞かせたいと思った。

 窪島氏の結びはこうである。「「無言館」は反戦平和との関係で取り上げられることが多いが、展示されている絵を描いた若者は、反戦平和や平和運動のために描いたわけではない。彼らが描いたのは、その人・物を愛していたからだ。絵は批判にはならない。愛するものしか描けないのが「絵」の性質だ。これは、それを愛することができる自分を描くことでもある。自分が今生きていて描いているという喜びを伝えること、それは人間にとって必要なことなのではないでしょうか・・・?」

 ところで、講演会には約250名ほどの参加者があって盛況だった。しかし、驚いたことに、私よりも若いと思われる人は、その中に両手の指の数ほどもいたかどうか、である。70代が最も多かったのではないか?真摯に自分の生と向き合った結果の絵が、老人の心だけを引きつけるなどということがあるわけがない。結局のところ、人々は「戦争」との関係でしか、「無言館」を考えることが出来ず、従って、戦後の混乱期も含めて、自分にとって身近なものとして戦争を感じ、考えることの出来る人だけが関心を持つ、ということなのだろう。

 3月11日に、私は「教訓」を叫ぶことの胡散臭さについて、冷ややかな一文を書いた。繰り返しになる。人は、自分が体験したことについては一定の関心を持ち続け、教訓を語ることも出来るが、自分が体験していないことについて、積極的に学びの対象として関心を持つことは難しい。聞いたり読んだりという、高度で面倒な作業が必要となるからである。しかし、現在、震災の「教訓」を叫ぶ人の多くは、自分が戦争から何物をも得ていないことを、まったく別の事として考えている。震災でも「無言館」の絵でもない、老人しかいない今日の窪島講演の会場の様子にこそ、教訓は含まれるのである。