石巻「日活パール」・・・ある文化遺産(?)



 縁があって石巻に住むようになり、早くも丸23年が過ぎようとしている。人生で一番長く住んでいる場所だ。職業柄、家庭訪問に行くことも多かったので、少なくとも、平成の大合併前の石巻は、およそ隅から隅まで分かったような気になっている。そんな私が、この間、その存在を気にしながら遂に足を踏み入れたことの無かった場所がある。それは、旧商店街の片隅にある「日活パール」という映画館だ。気になっていた理由も、足を踏み入れたことがなかった理由も共通している。その信じられないほどうらぶれた雰囲気と、「ポルノ映画館」であるということだ。私も人並み程度のスケベ心は持ち合わせているつもりだが、半ばパブリックなスペースで男女の営みを見たいという気はあまり起こらないし、何より変な人がいそうで気味悪いというのが正直な気持ちだった。

 そういえば、最近はインターネットという便利なものがあるんだっけ、と、検索してみると、なかなか真面目で詳しい訪問記(2010年10月)を読むことが出来た。

http://www.cinema-st.com/adalut/d017.html

 これによると、清野さんという当時84歳の館主が、一人で全ての作業をこなしながら、かろうじて経営を維持しているという。この老人が倒れたら、この映画館は閉館なのだろうか?だとすれば、残された時間はほとんどない。このようなアングラ文化(?)にどの程度の価値があるのかは知らないが、既に仙台にさえ存在せず、東北でもたった2軒(もう1軒は弘前らしい)しか残っていないという希少な文化を、その終焉前に一度見ておかなくては、という好奇心が日に日に強くなっていた。

 私は今日締め切りの学術論文を抱えていて、このところ狂ったように忙しく、夜なべ仕事も度々の生活をしていた。それが、昨日ようやく一段落した。仕事と家事の合間に、まがりなりにも学術論文なるものを書こうとすれば、このブログの記事数百日分のパワーは必要なので、解放感は絶大である。しかも、今日は妻子がいない。平成23年度の最終日にふさわしい企画として、カメラとノートを持って(笑)変な人がいる可能性の低そうな朝イチで「ポルノ映画館」を訪ねてみることにした。意識として、映画を見に行くのか、映画館を見に行くのかは、自分でも定かでない。

 この映画館は、我が家から駅に行く途中にあるので、今までに何百回となくその前(主に裏口)を通っているのだが、1度として人が出入りするのを見たことがない。今日は表から入る。いかにも昭和然としたうらぶれた入り口に、どぎついポスターが貼ってあり、なぜかその横に、高さ2mほどの木製の神社が鎮座している。屋根の付いた路地風の部分が曲がって奥へ延びており、そこを進んでいくと、小さな赤提灯がいくつかぶら下がった(笑)本物の入り口がある。

 当然、80代半ばの老人が切符を売っているのかと思ったら、40くらいのおじさんが切符売り場に座っていた。「ここは清野さんというご老人が一人でやっているんではないんですか?」「清野さん年だからね。バイトとか何とかでやりくりしてるのさ。」「お客さんて、1日にどれくらい来るもんなんですか?」「多い日で10人ちょっとかな。」「じゃ、平均すると10人には全然ならない?」「ならないね」・・・ 。こんな会話をしながら、1600円払って入る。『愛人OLえぐり折檻』『高校教師─異常な性癖』『破廉恥願望─丸見え下半身』(笑)の3本立てである。

 通りからは想像も付かないが、劇場は二つあって、今は80席の「シネマ2」だけを使っているらしい。東日本大震災の時には、約2mの津波に襲われ、スクリーンの3分の2が水没したというが、わずか3ヶ月後の6月20日に復旧した(!)。全国から馳せ参じたボランティアの方々が、まだ周辺の民家の復旧もままならない時期に、せっせとポルノ映画館の泥の掻き出しをしていたというのは、なんとなく微笑ましいような気がする。既にそんな形跡は探しても見つからない。

 10:30に間に合うように行ったつもりだったが、切符売り場で話をしているうちに映画は始まっていた。私が入った瞬間驚いたのは、スクリーンに映ったやくざな男が、携帯電話で話をしていたことである。私は、ポルノ映画など過去の遺物、作られていたのは昭和の終わり、遅くとも20世紀末までで、今はそのフィルムを繰り返し使っているのだろうと思っていた。確かに、使っている携帯電話は少々古くさい型だが、巨大なトランシーバーのようなものではなく、二つ折りの携帯電話である。この瞬間から、私はどちらかというと、男女の云々よりも、周辺情報に関心を奪われるようになった。「Lawson 100」がある!高校の職員室では、各自の机にブラウン管ディスプレイのPCが置かれている、道路には、懐かしいが、まだ現役でもおかしくないファミリアが走っていた。

 集中暖房などという設備はなく、ブルーヒーターがたかれていた。薄暗くてよく分からなかったが、私の他に客は2〜3人いたようだ。ただし、出入りが結構激しかったので、映画館の人かも知れない。映写室との間にガラスの仕切りがないらしく、映写機の音が結構大きい。スクリーン上で男女が汗を流している時に、後ろの方から大きないびきが聞こえてきた(笑)。雨の音も聞こえ始める。

 2時間半、3本立てを全て見て外に出ると、切符売り場で、いったいこれはいつ作られた映画なのかと尋ねる。あまりヤル気のなさそうな、或いは、自分が今いる場所とそこでやっていることに無関心といった風のおじさんは、「知らないね。会社から自動的に回ってくるだけだから・・・」と答えた。

家に帰ってから調べてみると、日活や東映といった大手がポルノ映画から撤退した後も、小さな会社が細々と、ビデオではなく、フィルムのポルノ映画(ポルノ映画とは大手が作ったものだけを言うのであって、零細企業によるものは「ピンク映画」と称するのが本当は正しいようだ)を作り続けているらしい。今日の作品は2006年製だ。この映画館も含めて、採算が取れるとは到底思えないが、何かしらこだわりがあって、経費もかかり規制も厳しいフィルム映画を作り続けているのだろう。こういう執着というか根性は、意味があるかどうか別にして私は好きだ。決して映像作品としてレベルの高いものではないが、ストーリー重視、「丸見え下半身」という副題とはまったく逆の、あっさりした描写で気楽に見ていられた。

 得体の知れない映画館が、得体の知れない意欲によって維持されているというところに、私はなんだかホッとするものを感じる。田舎町のうらぶれた小さなポルノ映画館は、世の中が純化されず、多様であることを寛容に受け入れていることの象徴であるように思える。私の感じる安心は、そこに原因があるのだろう。

 もう一度見に行くか?と聞かれれば?だが、ともかく懸案が一つ解決してよかった。