久しぶりで在日朝鮮人問題を考えた(2)



 待ち合わせ場所は、在日朝鮮人の日本を代表する集中地区・鶴橋である。大阪生まれの兵庫育ちである私は、大阪については多少知っているつもりだったが、実は、鶴橋を真面目に歩いたことがない。在日朝鮮人による独特の社会と町並みが形成されていると耳にして、一人で足を踏み入れるのは何となくためらわれたのである。

 Cさんとは、彼が仙台勤務の時に知り合った。彼は、その後、東京(朝鮮大学校)勤務を経て、数年前に大阪に異動したので、大阪で会うのは初めてである。まずは鶴橋を案内してもらうことにした。さほど広い範囲ではない。ごく限られたエリアの中に、二人並んで歩くことも難しいような細い路地が縦横に走っており、両側に朝鮮料理の食材を売る店、キムチ屋、K−POP・韓流グッズを売る店、焼き肉屋などがびっしりと立ち並んでいる。戦後の闇市に近いような所さえある。自分の街なのだろう。Cさんはいろいろな人に挨拶をしたり、声を掛けたりしながら案内してくれた。

 Cさん馴染みの朝鮮野菜料理の店に腰を落ち着けて飲む。その後は、お好み焼き屋だ。5時間に渡って、本当に気持ちよく話が出来た。

 修学旅行で毎年訪れるという北朝鮮の話や、私がかつて出入りしていた朝鮮人学校、そこで接した生徒や先生達の印象は、萩原氏ほか日本のメディアで語られる北朝鮮像とはずいぶん違う。もっとも、私が朝鮮人学校に直接出入りしていたのは20年も前の話なので、今の朝鮮人学校がどうなっているかなど、Cさんの雰囲気から判断するしかないのだが、Cさんは何も変わっていない。だとすれば、それはまるで昭和30年代の日本の高校生を彷彿とさせ、懐かしさを感じるような純情で溌剌とした人々だ。こちらから足を向けさえすれば、日本の学校よりも、よほど民主的で開放的だという印象すら持っている。

 以前書いたことがあるとおり、Cさんの生き方は、ある意味で非常に不器用である。なにも、現在の日本で定住を前提としながら、民族の誇りや文化を守ると言って、流れに棹さすような民族教育をしなくても・・・と思う。損と言えば、ひたすら損な生き方なのである。日本人に同化し、日本の文化と秩序の中で生きていけば、彼くらいの能力の持ち主なら、どれだけ豊かで恵まれた(←もちろんこの「恵まれた」は、ある立場から見た場合の「恵まれた」であって、価値観が変われば「恵まれた」にはならない)生活が出来ることか、と思う。だが、損な生き方をする人は、当然のことながら、自分自身で主体的に生き、利益に目をくらませない純粋さを持っているものである。これは、Cさんの場合、ではなく、どんな場所でも通用する一般論だ。同時に、私が彼と同じ立場にあったら、やはり彼と同じように、損な生き方を選択してジタバタするのではないだろうかと思う。これが、Cさんに対する私の共感の根っこにある。もちろん、私は自分がそんなに純粋な人間だとは思わないけれど、どのような集団の中でも、常に異端であり、少数派であるのは確かだから・・・。

 萩原氏の著作の中にも書かれているが、在日朝鮮人は、自由に日本のメディアから情報を得ることが出来るのだから、北朝鮮人が鎖国体制の中で情報統制を受けているのとは訳が違う。だとすれば、朝鮮人学校でいくら力んで北朝鮮政府の主張に基づく教育をしても、それによって彼らを洗脳することは出来ない。どちらか片方の考え方を受け入れて、他方を無視するか、頭の中に、まったく異なる二つの世界をパラレルに構築するかのどちらかしかない。

 現在、朝鮮人学校の生徒は、ほとんどどこの大学でも受験(入学)出来るようになっている。Cさんによれば、学校の中には、東大に進学する生徒から、成績の上では取るに足りない生徒まで、非常に幅のある生徒が在籍しているという。幅はともかく、朝鮮高級学校から日本の大学に普通に進学するとなると、日本の高校が大学の入試に大きな影響を受け、それを意識しながらカリキュラムや授業計画を立てるのと同様、朝鮮人学校でも、日本の高校と同様の授業内容を設定せざるを得ない。萩原遼が翻訳した朝鮮人学校の歴史教科書が、萩原氏が言うように極めて特異な、異常なものだったとしても、それは学校教育全体のごく一部であらざるを得ないのではないか?

 萩原氏の著作は、北朝鮮特派員としての実体験と、膨大な手間をかけた綿密な考証とによって、強い説得力を持っている(特に『朝鮮戦争』は立派な作品だと思う)。一方、Cさんが私の目の前で、演技をしているとも全然思えない。まして、私の場合、20年前とは言え、多少は深く朝鮮人学校と直接関わっていたのである。

 オープンでなければ、この疑心暗鬼、憶測に基づいていろいろなことを言う状態は変わらないのだと思う。在日朝鮮人社会や朝鮮人学校について、よく知らないことが全ての根底にある。高校の授業料無償化問題が起こった時、朝鮮人学校側から、学校の実態を見に来て欲しいという声も出た(山口県など)。朝鮮人学校の教育がどのようなものであるのか、とにかく調べたり見たりした方がよい。朝鮮人学校や在日朝鮮人社会が、北朝鮮政府とどのように関わっているのか、そこも悪意を持たずに調べればよい。それらをせずに、北朝鮮政府という鏡に映して全てを考えるのは良くない。北朝鮮政府だって、実像がはっきり分からないから、なおさら人を警戒させるのである。そして、隠すのは、常にやましいことがある場合だ。

 Cさんは、日本人への同化を求める流れの中で、生徒数の減少がひどい上、公的補助金のカットが大幅で深刻なため、現在勤務する学校も、あと5年か10年で立ちゆかなくなるのではないかと言う。「えっ?閉校になったらどうするの?」と尋ねると、「原点に立ち返るしかないですわ」と明るい顔で言う。「原点に立ち返るって?」「生活のための仕事は仕事で探し、あとは寺子屋方式の夜学でもやることですよ・・・」。こう言うと、大きな声でカラカラと笑った。自虐的な雰囲気など微塵もない、さっぱりとした笑いだった。民族教育の挫折→撤収など、ほんの少しも考えていない。この一徹さ、純粋さを私は本当に美しいと思う。(終わり)


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