久しぶりで在日朝鮮人問題を考えた(1)



 昨日までの3日間、大阪へ行っていた。

 年賀状も一段落した1月12日、20年来の友人(と認めてくれているかどうかは分からないが・・・)Cさん(在日朝鮮人大阪朝鮮高級学校教諭)から手紙をもらった。中に『社会評論』(スペース伽耶、2012年秋号)というなかなか過激な雑誌が同封されていて、付箋の付いたページを開けると、Cさんの論文が掲載されていた。これまたなかなか硬質な言葉の並ぶ論文である。共感できる所も出来ない所もあったけれど、純粋素朴な熱血漢であるCさんに、無性に会いたくなってきた。関西には、他にも行きたい事情があったので、家族の許可を得て、大阪へと向かった。

 あえてCさんの立場と最も遠い位置にいると思われる萩原遼の著作を手に、予習をすることにした。我が家にあったのは、『ソウルと平壌』(大月書店、1989年)、『朝鮮戦争金日成マッカーサーの陰謀』(文藝春秋、1993年)、『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』(井沢元彦と共著、祥伝社新書、2011年)の3冊である。とりあえず、これらを読みながら、在日朝鮮人問題について自分なりに改めて考えてみようとは思ったものの、もちろん、そんな問題についてCさんを論破しようとか、憤りを分かち合おうとかいう気持ちはまったくない。あくまでも、今回の大阪行きをきっかけとして、久しぶりで在日朝鮮人問題について考え直してみたい、と思っただけである。

 さて、朝鮮人学校以外のインターナショナルスクールに子供を通わせる親は、基本的に一時滞在者である。だからこそ、本国に戻った時のことを考えて、例えばアメリカ人として、アメリカ人に必要な教育を施そうとする。一方、在日朝鮮人は、もともとはともかく、今や一時滞在者とは言えない。現に、Cさんも含めて、帰国を見据えている人はほとんどおらず、今後も日本で生きていくことが前提となっている。在日を「一時的」と考えていたのは、帰りたくても帰れなかった朝鮮戦争時期、多少のゴタゴタを含めても1960年頃までであろう。だとすれば、その後の朝鮮人は、「帰国」か「同化」かを選択するのが自然であって、いつまでも日本の中で朝鮮人であり続け、文化を守り続けるのは少し無理がある。

 ここで私が、比較の対象として思い浮かべるのは「華僑」である。華僑は帰国を前提にしない定住者が多い。本家が本国に在って、そこを拠点とした海外定住である。目的は、かなり純粋な経済活動(出稼ぎ)であろう。政治に関わった人もたくさんいたが、それは外地から本国の政治勢力への援助であり、本国が長く内戦状態にあったこともあって、中国の国内問題でしかなかった。現在、中国を敵視する国があるとすれば、その国の中で一党独裁の状態にある中国共産党政権に肩入れをしながら生きていくことは、難しくなることもあり得るだろう。

 ところが、在日朝鮮人は経済活動に滞在の目的を限定せず、全面的である。そしてそれが北朝鮮の政治と関わる時、閉鎖的で、現政権に対立する組織がなく、しかも拉致問題やその他国際的なルールからの逸脱という形で、現政権が日本と政治的に対立的な状況にある場合、在日朝鮮人朝鮮人民共和国政府に対する支持・支援を容認または黙認すれば、それは日本という国家を内側から切り崩すことになりかねない。

 従って、朝鮮人学校は、帰国を前提としない民族教育という難しい作業を余儀なくされ、日本(人、政府)は、社会に多様性があった方が柔軟で活気ある社会を作ることが出来るから、その存在を認め、支援することと、国内での外国人による反日活動(間接的なものも含めて)に対して甘い顔は出来ないという二つの立場の間に立って悩むことになる。

 Cさんには申し訳ないが、以上のような事情から生じた高校教育無償化対象からの除外や、各種助成の打ち切り、減額は、民族差別とか日本による植民地支配の清算とか、必ずしもそういった問題ではないように思われた。同時に、それらの「冷たい」施策を、私はいいとも悪いとも言いにくくなった。他のインターナショナルスクールに対する日本政府の対応に比べて、朝鮮人学校に対してが特別冷たいということもないだろうし、支援というのであれば、帰国の支援(帰国後のサポートも含めて)こそ主要な支援のスタイルとなるはずだからである。

 新幹線の中で本を読みながら、こんなことをあれこれ考えていたら、あっという間に大阪に着いてしまった。(続く)