ささやかな日本史・・・切符の持ち帰りについて



 些細なことでも、確実に世相を表すことというものがある。

 少し気恥ずかしい話なのであるが、私はどこかに出かけると、通勤や買い物のための日常的な移動を別にして、その時使った切符を持ち帰って丹念に取っておくという習性を持つ。切符には日付と共に、どこからどこまで移動したということが書いてあるので、これを保存しておくと、自分がいつどこに旅行したかということが分かり、それが分かると曖昧な記憶が鮮明になってくる。いわば日記の代わりを果たす。加えて、切符には、いろいろな種類があり、そこに記された列車名や料金は時代によって変化する上、一昔前はハサミの穴の形状まで鉄道会社や駅によって異っていたため、史料としての価値にも並々ならぬものがあった。私の好奇心とロマンをひどく刺激するのである。これが既に菓子箱で4箱になる。

 もちろん、欧米と違い、日本の駅には厳格な改札口というものがあって、駅員さんが目を光らせているので、無人駅でなければ、こっそり持ち帰るなどということは難しい。小学生の頃は、見ず知らずの大きな大人の後にぴったりとくっついて改札口をすり抜けるなどということをしたりしたこともある。なぜそんなアクロバットをしたかと言うと、それは、切符をくれない駅員さんというのが少なからずいたからである。私鉄は比較的確実に切符をくれたが、国鉄は当たり外れが大きかった。いい人に当たると、そのままくれたが、人によっては、「無効」というハンコを押してからくれ、人によっては頑として拒否(没収)した。甚だ不統一であって、国鉄としての方針というのはなかったに違いない。

 大人になると(大学生くらいかなあ?)、切符を「下さい」と言うことに恥じらいを感じるようになり、座席指定券のように、知らん顔で持ち帰ることが出来る性質のものは持ち帰るが、よほど特別な切符でない限り、駅員さんに頼んでまでは持ち帰らなくなった。だから、その時期、切符持ち帰り事情がどうだったのかは分からない。

 子供が出来ると、子供を連れている時はもちろんのこと、子供を連れていなくても、子供が欲しがるからと言えば、あまり恥じらいを感じることなく駅員さんにお願いが出来るようになった。もっとも、切符を持ち帰るのに、わざわざ理由を言う必要などないものを、「子供が欲しいと言うので」などと、言い訳がましくわざわざ言う所に、恥じらいがよく表れている。

 ところが、この時、どこのJRの駅でも100%確実に、極めて快く切符をくれることに気付いたのである。私が切符の持ち帰りに積極的でなかった間に、国鉄はJRに変わり、「鉄ちゃん」とか「鉄男君」「鉄子さん」などという言葉が生まれ、鉄道ファンが市民権を得、鉄道会社も鉄道ファンの歓心を買うことが増収増益に結び付くことに気が付いて、その存在を大切にするようになっていた。切符を持ち帰りを認めるのは、鉄道ファンの歓心を買うひとつの重要な方法となったのである。

 とは言え、JRの切符対応が完全に統一されたかというと、決してそうではない。最近の切符というのは、自動改札機を通すものが多いのだが、その機械に切符が使用済みであることを認識させるには、「無効」のハンコを押しただけでは駄目である。しかし、駅によってはそのまま、駅によっては「無効」のハンコを押し、駅によっては穴開け機で穴を開けてから渡してくれる。しかも、穴開け機の穴の大きさも不統一で、駅によっては、バインダー用の穴開け機で直径5ミリの穴を開けるし、駅によっては、そのために用意した物かどうかは不明だが、直径1ミリ程度の穴で済ませてくれることもある。

 先日大阪に行った時、行きの乗車券を大阪環状線森ノ宮駅でもらおうとしたところ、観光地の駅でもない、大都市のごく普通の駅であるにもかかわらず、「乗車記念/森ノ宮駅」と書いた小さなハンコを押し、直径1ミリの小さな穴を開けてくれた。どう見ても、私のような人間のためにわざわざ用意したとしか思えない、心憎いグッズだ。その昔、切符の持ち帰りにひどく苦労したり恥を感じたりした私としては、切符の持ち帰りも、ついにここまでの市民権を獲得したか、との感慨を抱いた。