詩「人生遠視」考(2)



 1行目と2行目が重なり合うことは間違いがない。「足もとの鳥」は、「自分の妻」と自分から極めて近い所にいるものとしての共通性を持つ。「たつ」はもちろん「飛び立つ」の意味だから、鳥が飛び立つことで、自分の妻が発狂したことを比喩することが、明確に示されていると言える。昨日引いた3人の解釈は、どれも智恵子の発狂が突然のことであったことに対する驚愕を表すとしている。それは決して間違いではないだろう。

 3行目の「自分の着物がぼろになる」で、上杉氏は「着物」を「妻」の比喩であるとし、大島・湯原氏は光太郎の日常生活全体を意味するとする。「着物」を「妻」の比喩とした場合、この詩の中には、「鳥=妻」と「着物=妻」という二つの比喩が、重層的に含まれていることになる。果たして、高村光太郎という少なくとも外見的には極めて平易な詩を書き続けてきた人が、わずか5行の詩の中に、それほど面倒な構造を組み込むだろうか。私には疑問である。

 「着物」が「着物」でも、生活全体でも、その点については構わないだろうが、そこに智恵子の凶暴性が反映されていることは間違いないように思う。智恵子の精神病は、昭和10年2月に精神病院に入院するまでは、次の中原綾子宛書簡(1935年1月8日付=「人生遠視」が書かれる直前)に書かれたような、激烈で暴力的な症状を示した。

「一日に小生二三時間の睡眠でもう二週間ばかりやっています。病人の狂躁状態は六七時間立てつづけに独語や放吟をやり、声かれ息つまる程度にまで及びます、拙宅のドアは皆釘づけにしました、往来へ飛び出して近隣に迷惑をかける事二度。器物の破壊、食事の拒絶、小生や医師への罵詈、薬は皆毒薬なりとてうけつけません。(中略)(病人は発作が起こると、まるで憑きものがしたような、又神がかりのような状態になって、病人自身でも自由にならない動作が始まります。手が動く首が動くといったような。)(病人の独語又は幻覚物との対話は大抵男性の言葉つきとなります。或時は田舎の人の言葉、或時は候文の口調、或時は英語、或時はメチャクチャ語、かかる時は小生を見て仇敵の如きふるまいをします。)」(『高村光太郎全集』第14巻、筑摩書房、1958年)

 「自分の着物がぼろになる」とは、このような智恵子の振る舞いの結果として、光太郎自身が正にぼろぼろに疲弊してきたことを意味すると考えるのが素直なのではないか。

 さて、最後の2行は上杉氏も言うとおり、なんとも解釈に苦しむ部分である。この2行こそが、この詩を殊更に難解なものにしていると言ってよいだろう。本杉氏の文章に引かれた伊藤氏の解釈と大島・湯原氏の解釈は、おおむね共通している。それは、将来の展望が見定めがたいことを意味する、というものだ。伊藤氏は「将来の展望」という絞り込んだ言い方ではなく、「生活の焦点」という言い方をしているが、まず大差ないと考えてよいだろう。しかし、三氏ともに、詩の表現からなぜこのような解釈が生まれるのかについての明確な説明はしていない。

 この点、上杉氏の理解は一見明快である。「この鉄砲」を智恵子の病の比喩と考え、その鉄砲が「照尺距離三千メートル」という高性能なものであるだけに、智恵子が病気から逃れられない、病気が智恵子を捉えて放さない意味であると解釈する。

 だが、この解釈もまた問題を含む。鉄砲に「この」という指示語が加えられていることからして、鉄砲を持っているのは光太郎である。だとすれば、鉄砲が智恵子の精神病を比喩すると考えるのには無理がある。1行目の「足もと」が作者・光太郎の足もとだというのも疑いがないので、光太郎が足もとから突然飛び立った鳥を撃とうとしている、という理解の上に、解釈は組み上げなければならないのではないだろうか。

 「照尺距離」とは、標的までの距離のことらしい。もっとも、かなり特殊な軍事用語のようなので、光太郎が正しく理解して使っていたかどうかは怪しい。なぜなら、照尺距離は、その時何を標的としているかによって変化するものであって、鉄砲に固有のものではないからだ。一方、詩の表現は、明らかに「照尺距離」を「この鉄砲」に固有の、性能を表すものとして用いている。私には、類似の表現として、「照準距離」という言葉が思い浮かぶ。これは、辞書類でななかなか探すことのできない言葉だが、「射程距離」すなわち、どこまでの範囲に狙いを定められるか、という意味の言葉と同意であると私は理解している。光太郎は、正にその意味で「照準距離」という言葉を使っているのではないか。上杉氏もおおよそその理解に立っている。

 「この鉄砲は」に続くとは言え、「長すぎる」は鉄砲(砲身)ではなく、「照尺距離(射程距離)」だろう。「すぎる」という表現は、明らかにマイナスの意味である。通常の鉄砲(銃)というのは、射程距離がせいぜい千メートル前後までのようなので、三千メートルの射程距離を持つ鉄砲というのは、上杉氏の言うように現実には存在しないほどに高性能なものと考えてよいだろう。

 上杉氏の病気が智恵子を捉えて放さないという解釈は、非常に魅力的でありながら、やはり、「この」によって鉄砲を持っているのが光太郎だという点でのみ破綻している、ということになる。

 この破綻をもとにして、逆に、光太郎が持っている高性能なものとは何か、という考え方をしてみると、それは智恵子に対する深い愛情ではないだろうか。こう考えると、「これほど深い愛情を持っていながら、身近な妻の狂気をどうすることもできない」と解釈することが合理的であると思われてくる。

 もちろん、この解釈にも無理はある。それは、射程距離を、「三千メートル先の物まで撃てる」の意味ではなく、「三千メートル先の物しか撃てない」と理解しなければならないことである。また、「高性能な鉄砲=深い愛情」とすれば「愛情が深すぎて、身近な妻の狂気をどうすることもできない」ということになるが、「深すぎて」という日本語は変だ。「深いにもかかわらず」でなければならないが、「長すぎる」という表現からそれを導くのは苦しい。

 多くの人が、この詩を引用しながら、解釈には踏み込まない。それが可能なのは、智恵子が狂ったという悲しみについての絶叫であることは、解釈の如何に関わらず間違いないし、伝わってくるからである。それでも、それを構成する単語が明瞭な意味を持ち、作者が何かしらの内容を託した以上、読者が絶叫であるという以上の意味を読み取ることは必要なことだろう。

 だが、むしろ問題は、詩の解釈よりも、これほど衝動的にも思える絶叫が、智恵子の精神病が発症してから3年以上後、病状が悪化を続け、遂に絶望的な状況に陥った後になって初めて書かれている点にこそあるかも知れない。高村光太郎の詩というのは、起こった出来事と、それを詩に詠んだ時の時差が大きいものが多い。かつて私が一書(『「高村光太郎」という生き方』三一書房、2007年)を書いた時、その点にも触れはしたのだが、今にして思えばかなりいい加減であり、もう少し慎重に考えてみなければと思う今日この頃である。(完)