無残な結末・雑感



 ISにおける日本人人質事件は、なんとも気の滅入ってくるような無残な結末だった。

 この間、「とても人間のすることとは思えない」というような言葉は、何度となく耳にしたが、何、かつての日本やドイツにしても、ヴェトナムにおけるアメリカにしても、戦争なんてみんな、ISに勝るとも劣らない狂気の沙汰であり、今の私たちがかろうじてその圏外にいて、やや冷静に見ていられるからそう言うだけのことである。過去の戦争を見ながら、なんとか狂気から脱する方法はなかったのかと考えてみるが、残念ながら、やることを全てやり、行き着くところまで行き着き、破滅した後で初めて冷静さを取り戻す、という例しか見出せない。例が見出せないだけではなく、それ以外の道を見出すヒントも見つけられない。

 過去の戦争と今回の出来事がどう違うかと言えば、それは正に劇場型、自分たちの主張と所行をインターネットという文明の利器で、世界中にリアルタイムで発信し、その残虐さを可視化している点にこそある。映像を見ている人たちは、事件がひどく身近な場所で起こっている、大規模な虐殺事件であるかのような錯覚に陥る。また、日本やヨルダン政府の反応だけでなく、ネット上では多くの野次馬が勝手なことを言う。ネット上でアクセス数を増やすとメリット(収入)が増える人もいるらしく、話は大衆の好奇心を刺激する方向に尾ひれがつき、エスカレートするということも起こるらしい。そんな情報の氾濫によって、善悪も含めて、正常な感覚を失う人も少なからずいるだろう。むしろ、それが恐ろしい。要は、ISではなく、文明の利器に世界が振り回されているのだ。

 便利なものが開発されると、世界は一見豊かになるが、必ずそれを悪用したり、中毒化する人が現れる。3Dプリンターによる武器製作などは、その典型であろう。メリットが生存とは無関係な付加価値(オマケ)に過ぎないのに対して、デメリットは生存に関わる(殺人など=直接のものだけではなく、間接も含めて。間接とは、人の正常な感覚を麻痺させて、事件を引き起こすという意味)から、より一層たちが悪い。文明と言えば、水道や電気まで否定する気はないが、便利合戦はホントほどほどにして欲しい、と思う。

 殺された方々やご家族には申し訳ないが、今回の事件については、私も自業自得論に立つ。湯川さんの「民間軍事会社」というのは、正に平和ボケの産物以外の何物でもないと思うし、その湯川さんを助けに行ったらしい後藤さんは、現地の危険をよく知っていた上で、覚悟の訪問らしい。それによって国会の最中に、大変な思いをした政治家・官僚は気の毒だし、仲介・交渉・情報提供の依頼には、それ相応の謝礼(心付け)も支払われたに違いなく、残虐な情報が国民(世界?)に与えた心理的悪影響も大きい。迷惑甚だしい。

 私は安倍首相が大嫌いな人間であるが、それでも、彼の言動が今回の事件を引き起こしたと言うのは、少し気の毒だろうと思っている。むしろ、ISが何かの口実(言いがかりのネタ)を探しているところに引っかかった、という感じがする。一国の総理大臣ともなれば、そういう口実も与えない言動が求められる、という意見もあるかも知れないが、今回については少し酷ではなかろうか。

 だが、私も今回の事件が公になる前から、少し心配していたことがある。それは、イスラエルとの関係だ。

 私は昔、わずか3週間ほどながらイスラエルに行ったことがあって、その時に学んで、イスラエルという国の持つ危うさには目を見開かされた(→こちら、その翌日も)のだが、いまだに日本人の認識は甘いと思う。それは、ユダヤ人がホロコーストの被害者であり、彼らもその立場を上手く利用していることと、日本人が、アメリカというイスラエルと親戚関係にあると言ってよい国を通してしかイスラエルを見ないからであろう。森達也氏か誰かが訴えていたとおり、テロに屈しない、といった場合、アラブ諸国にとって最大のテロリストはイスラエルユダヤ人)であって、イスラエルの首相と「テロに屈しない」と声を合わせれば、アラブを敵に回すことになる。そして、私はことパレスチナ問題に関して言えば、理はアラブ側にあるだろうと思っている。

 それはともかく、「積極的平和主義」なのかも知れないが、他国の問題に積極的に発言するのは極めて危険だ。「テロに立ち向かう」が立場を超えた錦の御旗にならないのも明らかだ。安倍首相といえども、基本的に穏やかで人のよい日本人が、そこで上手く立ち回れるほど、世界は単純でもお人好しでもないだろう。いい格好はやめよう。