非文明の利器「湯たんぽ」



 関西から帰ってきた後、仙台界隈の実家にいたのだが、以前いた学校の部活OB会とか、御用始めから出勤する必要があったという事情で、2日と4日は一人で石巻に戻り、束の間の一人暮らしをしていた。少し空けると、家の中は非常に冷たくなるもので、関西から戻った12月29日は4.7度(1週間空けたからね)、2日は5.2度、昨日は6.8度まで下がっていた。正に冷蔵庫の中にいるようである。風が吹いているわけではないので、オーバーズボンをはいたり、どんぶく(綿入れ)を着たりすると、さほど苦にはならないが、手がかじかんで細かい作業が出来なくなるので(年齢とともに末端の冷えが深刻である)、やはり12〜13度までは室温を上げないわけにはいかない。普段は「微弱」でしか運転しないFF式ヒーターを、星3つくらいで動かしてはみるものの、室温は遅々として上がらない。

 個人が石油を燃やすのは基本的に「悪」と考えることにしている私は、一人の時は風呂など沸かさない。しかし、風呂に入らないと、冷え切っている布団の中で眠ることができない。ここで登場するのは、非文明の利器「湯たんぽ」である。布団に入る15分くらいに、ごくありふれたサイズのやかんでお湯を沸かして入れ、5分刻みで、布団の中を移動させると、寝る時には、布団全体が程よい温度になっている。

 朝起きると、顔も洗わずに食事をし、湯たんぽのお湯で髭を剃りながら顔を洗い、歯磨きをし、油も付いた食器を洗う(←食器を洗うために、洗顔を食後に回すわけだ)。ここまでが、湯たんぽのお湯だけで済んでしまう。いや、少し水を足しながら使えば、更に多くのことができるはずである。湯たんぽの湯は、それほどの温度を維持しているのである。なんと効率のいいことか、と感心する。非文明の利器、やるなぁ!!冬場、特に激しく動いて汗をかいたり、土ぼこりを浴びたりすることがなければ、風呂は3〜4日に一度にして、家族みんなが湯たんぽを一個ずつ持ち、こんな省エネ生活も悪くないな、と思う。

 今日は、家族が帰ってきた。子供が騒いでいると、8度の部屋でも12〜13度に感じられてくるし、室温の上昇も明らかに早い。一方で、湯たんぽ生活など家族の受け入れるところにはならないので、風呂も沸かすし、増えた食器を洗うのはボイラーの力を借りることになる。

 なんだか変だな、と思う。一人の時よりも、大人数の時の方がたいていは効率的なのに、なぜか家族がそろうと、室温を別にすれば、総量はもとより、一人当たりでも消費エネルギーが増える。非文明の利器をお蔵入りにして、文明の利器を動かすわけだから当たり前か・・・(笑)。