夏らしい体育祭

 石巻も暑い。1週間前の木曜日は、最高気温21.1℃だったのに、今日は34.5℃まで上がった。県内の観測地点の中で、仙台空港に次ぐ2番目の値だそうだ。いつも、夏場は仙台より3~5℃低い石巻としては、非常に珍しいことだ。とは言え、日中はよく風が吹き、しかも湿度が低かった。そのため、気温ほどには暑さを感じなかった。帰宅した時には、真っ青な海が水平線までくっきりと見えていた。それを見ながら、湿度は50%前後といったところかなと思い、後から調べてみると(我が家には湿度計がないので)65%だったらしい。もっとも、湿度は時間帯によってずいぶん違うはずだ。私は今でも、私が帰宅したときの湿度はもっと低かったと信じている。
 さて、今日は勤務先の学校の体育祭だった。昨日の時点で、34℃まで気温が上昇すると見込まれていたため、急遽会議が開かれ、体育祭をどうするかという話になった。世の中では、よく、運動会や体育祭で熱中症の生徒が何人出た、みたいなことが話題になる。もちろん、非難がましく、だ。こうなると学校はがぜん萎縮する。熱中症を出さないようにどうするか、石橋を叩くような議論が始まる。着任してまだ3ヶ月にもならないので、私は大人しく諸先輩方の意見を拝聴していた。
 幸い、中止ということにはならなかったが、全員がグランドに張り付きとなる種目の中からリレーを省略し、教室を開放、エアコンを入れる、といった対策を施すことになった。ま、これでも、かろうじて踏み止まったといった所だろう。
 確かに、6月中の梅雨明け、石巻で34℃というのは異常事態である。しかし、よく言われるとおり、これはおそらく温暖化の一現象なのであって、今後更に過酷さを増していく気候変動の通過点に過ぎない。ところが、おそらく多くの生徒は家でエアコンの付いた部屋に過ごし、親の車で送られてくる生徒も少なくなく、学校に着けば教室ではエアコンが動いていて、体育祭が危険だとなれば規模縮小、となる。
 石油を大量消費したことが原因で環境が悪化し、環境が悪化すると文明の利器によって自分を守る。文明の利器は、もちろん石油の消費とほぼ同義語だから、頼れば頼るほど環境の悪化を加速させる。絵に描いたような「悪循環」だ。しかも、文明の利器に頼れば、人間が本来持っている、もしくは獲得できるはずの適応力や耐性はどんどん失われていく。自分を守ってくれる文明の利器が、何かの都合で思い通りに動かなくなったら(動かせなくなったら)、もう生きていくことができない。人間、誰しも死にたくはないから、文明の利器を確保するために必死になる。すると道に外れたこと(例えば武力で石油を強奪するなど)でもやるようになるだろう。困ったことである。
 環境は確実に悪化する。文明の利器はそういつまでも無制限に使えるわけではない。悪い環境に耐えられる体になっていかなければ、生き延びることはできないのである。だから、重症は困るが、多少の熱中症は出てもかまわないという覚悟を持って、ハードルを下げずに行くのが正しい。もっとも、親が積極的にエアコンを使わせ、車で送り迎えをしている一方で、学校だけがそんな努力するのは難しい。偽善者的なマスコミの問題もある。どうすれば、今の私たちの生活の問題を、ごまかすことなく、みんなが真剣に考えるようになるのだろう?
 教員側の心配をよそに、生徒は萎縮することなく、のびのびと体育祭を楽しんでいるように見えた。暑いからといって、プレーの手抜きをしたり、仲間の応援には行かずに、エアコンの効いた教室でスマホをいじっていたり、という光景はほとんどなかった。そして、風と湿度とに助けられたこともあってか、誰一人熱中症にはならなかった。

 体育祭は明日も続く。夏らしく、気持ちのいい大会として終われますように。