表情が見える喜び

 体育祭が無事終わった(昨晩のうちに更新できない事情があった=笑)。結局、体育祭の中で熱中症になった生徒は1人もおらず、2日目の閉会式は放送によって行うとしていたものを、生徒会役員による交渉の甲斐あって、昨日の朝、急遽グランドでの開催とするなど、リレーを中止にした以外は、先月の職員会議で確認されたとおりの体育祭を行うことができた。
 とてもいい体育祭だった。理由はいろいろあるのだが、そのうちの最も重要だったものに、ほぼ「ノーマスク」だったことがある。国から示された基準をもとに、体育祭初日、保健担当教員から、競技中や屋外では積極的にマスクを外すように、と生徒に連絡があった。マスクは、教室で休みながら友達と話をしている時だけ着用せよ、とも。熱中症に戦々恐々としている状態の中では、当たり前の指示であった。全国的な気温の上昇が予想されていたとあって、この日の毎日新聞は、「熱中症の方が危険」という見出しを掲げ、「熱中症とコロナのリスクをてんびんにかければ、熱中症の方が、死亡など最悪の事態を招くリスクは圧倒的に高い」という専門家の言葉を載せていた。
 中間考査最終日に行われた身だしなみ検査で、男子はひげ剃りが為されているか、女子は口紅をつけていないかの確認のため、各自2秒くらいマスクを外させたことはあったが、実質的に生徒の顔を見たのは初めてと言ってよい。生徒の側でも、教員の顔を見たのは初めてだったはずだ。
 私が以前から強く心配しているとおり、マスク生活も既に2年が経過し、マスクを手放せなくなっている人(特に若者)が多いという記事を目にすることが増えている。今、手元に記事が探せないのだが、コロナが終息してもマスクを付けて生活したい小中学生が9割近いという調査結果が報道されたことすらあった。個人情報だと言って住所や生年月日を隠し、ネット上で匿名の発信をし、そしてついにマスクで顔さえも隠して生活する。自分の存在をとことん無色透明化してしまいたいのに、なぜかSNS発信に対する評価を気にし、承認欲求は強い。本当に不健全である。
 幸い、よい子たち(笑)は、保健担当者の言葉を忠実に守り、ノーマスク体育祭を楽しんでいた。私の感動は、単に初めて顔を見たということだけではない。子どもたちの表情ってこんなに豊かだったんだ!!!!というものである。あまりにも素直で明るい感情表現だ。実にすがすがしい。同時に、2年以上にもわたって、このような表情を目にすることなく生活していることの異常さを改めて感じた。
 また、生徒の顔の憶えやすいこと!!目が悪いこともあって、もともと人の顔の識別能力にかなり問題のある私は、4月以来、マスクをした顔しか見たことのない生徒たちを、ほとんど憶えることができずにいたのだが、体育祭の2日間で一気に数十人を憶えられた気がする。あと1週間体育祭が続いてくれれば(笑)、授業で受け持っている生徒全ての顔と名前を一致させられたかも知れないな、などと思った。
 私が副担任をしている土木システム科3年生は、なんと総合優勝。「去年までこんなクラスじゃなかったんだけどなぁ」と首をかしげる担任を横目に、クラスの試合には、その試合に参加しない生徒も多く応援に集まり、みんなで勝ち取った総合優勝という実感が持てたため、なおさら値打ちがあった。
 冒頭に書いたとおり、閉会式のやり方は2転し、当日の朝に「やっぱりグランドで」となったのだが、それも大正解であった。一つの場所に集い、競技結果に関する各クラスの反応をお互いに確かめ合い、たたえ、一緒になってはやし立てる。そして解散後、他クラスの生徒も交えて、あちらこちらで写真撮影だ。閉会式のこの得がたい雰囲気は、逆に言えば、熱中症対策として各教室で放送を聞くだけの閉会式だと、いかに多くの物を失うか、ということでもある。
 本当にいい2日間だった。できれば、これだけノーマスクで生活しても、クラスターが発生したりしないことで、生活正常化への大切な一歩となって欲しい。