熱中症に注意!?

 連日暑い。とは言っても、私が日本で一番気候がいいと思っている石巻のこと、日中は30度前後、夜は23〜24度で猛暑日にも熱帯夜にもならない。夏らしくていい、と余裕を持って言っていられるレベルだ。80歳を過ぎた隣のおじさんは、昔はこんなに暑くなかった、とブツブツ文句を言っていたが、私はあまり変わらないんじゃないかな?と思っている。ただ、今日は湿度が高かった。網地島や田代島の見え具合によって湿度を測っている私だが、今日は一日中、島がほとんど見えなかった。湿度は95%に近かったと見た。晴れているのに珍しい・・・。これは少しつらいな。
 熱中症に注意しろ!との警告をよく耳にする。昨日だったか、小学校かスポーツ少年団だったかから、そんなメールが妻のスマホに届いてびっくりした。テレビでもよく言っている。加えて、水分をこまめに補給しろとか、冷房を適度に使えとか・・・私は日本一流のおせっかいだな、とうんざりしながら聞いている。
 暑い時に暑いと感じるのは自然現象である。普通、人間の体はそれに反応して、水を飲まなければならないとか、団扇であおぐ必要がある、などとわざわざ考えなくても、自然に水を飲んだり浴びたりしたくなったり、団扇であおぎたくなったり、冷房の効いているところに行きたくなったりするものである。そうならずに、熱を体内にため込んで熱中症になり、それにも気付かず、もしくは対処出来ずに意識を失ったり死んだりするのであれば、それはもう寿命なのだから諦めるしかない。他人についてそう言えば、差し障りがあるかも知れないので、私自身についてだと思っていただけるといい。そうして自分が命を落としたとしても、私はすっかりあきらめが付く。むしろ、そんなことについてとやかく言われたくない。
 人間というのは案外丈夫なものだし、適応力だってあるはずだ。いくら今より多少は涼しかったとしても、私が子どもの頃、夏の炎天下で水を飲まずに部活をやっていたというのは驚くべきことだ。それで熱中症で死んだ人がどれくらいいたのかは知らない。今よりも少なかったのか、たくさんいたが過剰に報道されなかっただけなのか・・・?
 暑さという自然現象への対応にまで国や自治体、学校といった「公」が騒ぐ。騒がなければ「対応を怠った」と批判されるのだろうか?昔より厳しくなったと言われる暑さは、人為的なものである可能性が非常に高いのに、冷房の使用などでまたそれを加速させる。車、自販機、コンビニ、飛行機といったものの野放し状態についても、何ら問題意識は感じられない。37度、38度といった場所では、仮に「適度な冷房」を許容するにしても(注:ただし、私は当時も連日猛暑日だった瀬戸内で高校時代を過ごしたが、学校はもちろん、平屋のプレハブだった我が家にもエアコンなんてなかった。それでも、みんな生きていた)、石巻で、我が家にはエアコンがないという話をすると、私が携帯電話を持っていないと言った時と同様に、まるで人間ではない生き物に会ったかのような驚きを示す人が少なくないことは、逆に私を大いに驚かせる。温暖化を加速させながら、人間の退化を促進させるというのは、危険に向かって二重にアクセルを踏んでいるのと同じではないか。まったく、私の感覚からすれば、世の中は本当に何もかも、間違った方向に進んでいるのである。
 暑いなぁ、と思った時、私は運動をすることにしている。足ででも、自転車ででも、走りに行くというのが多い。炎天下で汗をいっぱいかくと、逆に、涼しさを感じるようになる。水も美味い。ただ、私とて労働者なので、日中、好きな時に走りに行くというわけにはいかない。今の学校は、夏休み中も基本は出勤=仕事だ。宮城県は職員室へのエアコン設置を順次進めている、という噂を最近聞いた。30度でも、集中してデスクワークをするのは確かにつらい。が、やはりエアコンが必需品だとは思わない。
 そう言えば、7月末、今春に定年退職した友人が、10日間ほどの北欧旅行に行ってきた。一般のツアーだったらしいが、職業上の興味から、スウェーデンで空き時間に「高校」というものを見に行ったそうだ。校門に鎖で鍵がかかっていて、1ヶ月半に及ぶ夏休み中、学校には誰も出入りしません、と主張しているかのようだったのがカルチャーショックだったと、口から泡を飛ばしながら語っていた。日本でそんなことを言ったら、「先生(公務員)はやっぱり甘えている」と言われるのがオチだろう。この段落は余談。いや、蛇足。