光は「肯定」の中にのみ



 ま、予想されたことではあるが、今日の新聞には、安倍首相を始めとする人々の、「テロに屈しない」「絶対に許さない」という類いの言葉が並んでいた。おそらく、何もおかしな発言ではない。

 だが、日々学校という場所で、いろいろと問題を抱えた高校生という発達途上の人々を相手にし、健全な社会人にすることを目標としてあくせくしている立場から見ると、それらの発言は、いくら内容が正しくても、実は困った発言なのだ。

 人間というのは、自分に対して批判的な人間には心を開かないし、心を開かなければ、その言葉を素直に受け取ることもしない。つまり、報復には報復の連鎖が続くのと同様、非難には非難しか返って来ない。そこには「引っ込みがつかない」「メンツが立たない」という心理も入り込み、ますます事を複雑・面倒にする。相手を変えようと思ったら、まずは相手の善良性を信じ、いいところを探し、肯定的に相手を見ることがどうしても必要だ。文句を言いたくなる相手ほど、いいところを探すのは難しい。だが、やはりその作業を前提にしなければ、相手はこちらの言葉に決して耳を貸さないどころか、こちらの期待から遠離ってゆく。人間はこれほどまでに問題多い存在であるのに、その問題を指摘することからは何も始まらない。この点こそが、人間の難しさだと思う。

 だから、テロリストを非難することは、決して解決への道にはならないのである。もちろん、これは傍観者的な立場に立つ発言であることは重々承知なのだが、「〜はダメだ」という否定的表現を多用するのではなく、共通理解できる何かを見つけ、「〜しよう」という肯定的表現を用いる努力をしなければならない。なぜ相手がそのように振る舞うのかを考え、自分が相手にどうして欲しいかではなく、相手のために自分は何をしてあげられるのか、と考えなければならない。

 日中戦争の最中、八路軍共産党軍)は日本人捕虜を虐待しないどころか、国民(地域住民)を説得し、復讐心を押さえつけて、むしろ優遇した。総司令官・朱徳が出した指示は次のようなものである。これらは、日中戦争の全期間を通して、少なくとも共産党支配地域では、厳格に守られ実行されていた。

1)絶対に日本軍捕虜に傷害や侮辱を与えてはならない。

2)負傷者は手厚く看護しなければならない。

3)元の隊に戻りたいという者は、必ず帰してやらなければならない。

4)そのまま留まり、日本帝国主義に反対して、一緒に活動しようと望む者や、一緒に学習しようと望む者には、そうできるように援助の手を差し伸べなければならない。

5)日本軍や自分の家族に手紙を出したい者には、そうする便宜を図ってやらなければならない。

 下級兵士は日本帝国主義の犠牲者だという考えに立っていたからこそ生まれてきた発想ではあるが、それでもこれらが、彼らの家を焼き、家族を殺し、田畑を蹂躙し、「鬼子」と呼ばれた日本兵士への対応だったことには頭が下がる。捕虜となり、最初は八路軍兵士の親切心に疑心暗鬼だった日本兵も心を開き、原隊復帰を拒否して、共産党が上の4)を実行するために作った学校(例えば延安の日本人労農学校→このブログの記事)で学び、対日本軍工作に積極的に協力する者や、戦争終了後に日中友好のために尽力する者が多く現れた。

 おそらく、憎しみを捕虜にぶつけても、あるいは、死を以て脅しながら対日本軍工作といった作業をさせても、上手くはいかなかっただろう。まして、それらが戦後の友好に力を発揮することもなかっただろう。

 人間は難しい。どんなに問題が多く深刻であったとしても、肯定的な見方をする中に解決への糸口を見出すしか、本当の解決はない。それをしなければ、力と力の勝負をするしかなく、それはより一層大きな不幸とひずみとを作り出すに違いないのである。もちろん、昨日書いたとおり、歴史は、狂者は破綻することによってのみ冷静さを取り戻す、ということを教えているのだけれど、それではあまりにも暗く、夢がない。もっとも、学校でわずか何人かの問題ある生徒を相手に、なかなかそれが思い通りには上手くいかないのだから、国家という大きなレベルで至難であるのは当然だ。例によって、私の言うことは「机上の空論」というわけだ。