中国共産党の変質・・・劉暁波氏の死から(5)

 文芸座談会に先立つ1942年4月7日、中共中央は整風運動を推進していく上で必読とされる文献18を、幹部試験の試験範囲として指定し、『解放日報』紙上で発表した。その中で最も古い文献は古田会議の決議(→今回の連載(1)=こちら参照)第1章である。第1章とは、「党内のプロレタリア意識の正しくない傾向を是正する問題」というものである。文芸座談会後の6月には、第1章の中で指摘される8つの問題点のうちでも、特に「個人主義」「観念的思考」「絶対平均主義」へと絞り込まれていく。ここに「絶対平均主義」が含まれることは、文芸座談会を開く発端との関係で重要だ。
 古田会議の決議において、絶対平均主義(平等)は以下のように語られる。

「絶対平均主義の根源は、まさしく政治上の極端な民主化と同じように、いずれも手工業および小農経済の産物である。(是正する方法として)絶対平均主義は、資本主義がまだ消滅しない時期には、たんに農民小所有者の幻想に過ぎないばかりでなく、たとえ社会主義経済の時期においても、物質の分配は各人および各工作の必要に応じて行われるべきで、けっして絶対的平均などというものはないことを理論的に指摘することである。」

 絶対平均主義を不可能とする点において、前回引用した、1942年3月31日の毛の発言と重なり合う。ところが、両者には大きな違いがある。古田会議の決議では、なぜ絶対平均が不可能なのか、例を挙げて説明しているのだが、それは、負傷兵に費用を支給する場合、負傷の程度によって区別を付ける必要がある、上官が馬に乗ることは仕事の必要性があるからだ、物を運ぶ際には年齢や体の強弱に応じて量を加減すべきだ、といったようなことである。せいぜい上官が馬に乗ることが特権として問題になるかも知れない、という程度で、他は誰しもの納得できる配慮である。
 ところが、文芸座談会の時には、ただやみくもに絶対平均主義を「幻想」だ、「空想的社会主義思想」だ、「不可能」だと言うばかりで、説得力のある根拠は何も語らない。では、文芸座談会の総括で、毛は何を語ったのだろうか?
 毛は、文芸は誰のためのものか?と問題提起をした上で、第1に労働者、第2に農民、第3に兵士、そして第4が小資産階級に属する大衆と知識分子であるとする。文芸に携わっていた者は「小資産階級に属する大衆と知識分子」なので、放って置けば、彼らは自分たちの仲間を相手として文芸活動を行う。だが、それは、古田会議で決議された、あらゆるものは政治的目的(共産主義革命)を実現させるための道具である、という思想に反する。文芸が、自分たちの楽しみとして自己目的化してはならない。共産主義思想を広め、その実現のための活動を鼓舞する、宣伝工作の手段としてのみ文芸は認められる。だとすれば、文芸はもっともっと労働者、農民、兵士のためにこそ用いられなければならない。
 毛は次に、労働者・農民・兵士にどのように奉仕するかという方法を問題とする。そしてその答えは、文芸が労働者・農民・兵士のためのものである以上は、彼らへの普及をこそ大切にすべきだ、ということである。たとえ文芸の質的向上が必要であったとしても、それは労働者・農民・兵士からの向上であって、文芸家たち内部での向上であってはならない。毛はそのように語る。
 毛がこのように語る背後には、1940年から始まった魯迅芸術学院(魯芸)の「正規化・専門化」という問題があった。共産党どん底状態にあった時を過ぎ、国民党や日本軍の攻撃にさらされている過酷な状態は続いているとは言え、1937年以降、延安に腰を落ち着け、それなりの安定状態に入っていた。その豊かさの中で、魯芸という芸術大学は、兵士の慰問や農村での宣伝工作に従事する活動家を促成するのではなく、今日的な意味での芸術家を育てる方向に舵を切りつつあった。半年程度であった学制は年単位のものに延長され(正規化)、芸術の質的向上が叫ばれるようになった(専門化)。その結果、美術家ではロダン印象派の画家たち、音楽家ではベートーヴェンメンデルスゾーン、作家ではモーパッサンスタンダールといった、一般庶民からは無縁の西欧人たちの作品が授業や発表会で取り上げられるようになったのである。
 これらのような変化は、決して魯芸単独で出来ることではない。そもそも、魯芸の学制やカリキュラムを魯芸自身で決めることは出来ず、党の中央宣伝部が原案を作成していたわけだから、これらの変化は党の意思でもあったのである。
 しかし、そのことを棚に上げて、毛は文芸工作者たちが下層の人々、すなわち労働者・農民・兵士を相手にしなくなっていたことを問題視する。作家の視点が党幹部の特権生活に向いた時に、そのことを直接批判することは、さすがにはばかられたからでもあろう。上を向いた眼を、強引に下に向けさせることで、毛は幹部批判を封じた。これは、明らかに問題のすり替えである。毛のやり方は狡猾だった。(続く)