全国総文祭「小倉百人一首かるた」

 ほぼ全面的に猛暑日、所によっては37度を超えたという九州の方々には申し訳ないが、爽やかというか、本当に信じられないくらい寒い一日だった。(そう言えば、昨晩は、石巻川開き祭りの花火大会だったが、これまた、長ズボンに長袖を羽織って行ったのに寒かった。)
 天気は晴れ。日中仕事をしていた塩釜市は最高気温が25度。湿度は不明だが、石巻が65%だったので、似たようなものだろう。この時期としては非常に低い。常時、4m前後の風が吹いていた。風通しのいい所にいると風のために寒く、車内・室内に入れば、なぜかエアコンが効いていて寒い。ある人と、まるで夏のドイツかポーランドのようだ、などと言っていた。
 さて、今日まで3日間は、全国高等学校総合文化祭という大イベントの補助員をしていた。文化部のインターハイとも言うべきこのイベントが、今夏は宮城県での開催なのである。そのため、受け持ちの部活に関係なく、様々な仕事が回ってくる。加えて、インターハイ南東北三県、すなわち、宮城、福島、山形での開催である。つまり、なぜこういうことになったのかは知らないが、運動部の全国大会の3分の1と、文化部の全国大会とが同時に宮城で行われるという異常事態なのだ。なにしろ、教育の国家統制を象徴する(国や県にとっての)最重要行事、教育課程研究会(→こちら)が不開催になった(←なんだ、やらなければやらないで済むんだ!!)くらいだからよほどのことである。
 更に、我が塩釜高校は動員率県内ナンバーワンである。学校規模が大きく(公立で県内最大)、一網打尽に頭数を確保しやすい上、生徒はそろいもそろって素直で生真面目。宮城県のほぼ中心にあって、どこにでもアクセスしやすいという地の利もある。生徒が確か200人ほどと、教員は進路部長と3年生担任を除く全員が総文祭かインターハイ、どちらかに参加、ということになってしまった。
 私は希望して、塩釜市体育館(=ネーミング・ライツの関係で、現在の正式名称は塩釜ガス体育館)を会場に開かれた「カルタ競技」の係になった。他の用事との関係で、日程的に好都合だったのと、なにしろ我が家の子供たちが百人一首気違いなので、仕事の片手間、子供たちに本物のカルタ競技を見せるのに便利だ、と思ったからである。塩釜市内で開催するにもかかわらず、塩釜高校からの教員枠は3名。幸い、入れてもらうことが出来た。
 ところが、仕事は、生徒とともにJR仙石線本塩釜駅に案内所を設置し、シャトルバスや市内観光の案内をするというものだ。自分の持ち場にいたら、カルタなんて全然見られない。
 おかげさまで、仕事はひどく暇だった。ほとんど仙台市内に宿泊しているらしい参加者たちが、開会時刻に合わせて、下り列車で怒濤のようにやって来るのだが、だいたい30分くらいの間に集中していて、それ以外の時間帯はほとんど来ない。しかも、初日こそ、バスの乗り場を探す人も多かったが、その後は事情が分かっているので、案内所の前は素通り。
 係の生徒にも、カルタ競技、ましてその全国大会を見せてやりたいという気持ちもあり、私自身が見てみたいという気持ちもあり、仕事は6人の生徒を2グループに分け、2〜3時間交替にして、代わる代わる競技を見に行くことにした。
 私は、昨日の予選リーグ1回戦と、今日の午後に行われた決勝戦・3位決定戦を見に行った。本格的なカルタ競技を見るのは初めてである。決勝戦には、我が家の子供たちや義理の父母もやって来た。
 はぁ〜、なるほどこういう風にするんだ、という発見はたくさんあって面白かったけれども、試合そのものは決して楽しいものではなかった。大きな体育館に畳を敷いて行うのだが、何しろ2階の観客席からでは札が見えず、どちらの手が早かったか、などということも分からない。多くの生徒が同時に競技をしているので、どこか特定の一組だけに視線を集中させなければ、なんとなく全体像が眼に入るだけで、緊張感のあるせめぎ合いといったものもよく分からない。
 決勝戦は、仕事の都合で最後まで見ていられず、途中で駅に戻ってしまったが、後から子供に聞いた話では、手に汗握る大変なことになったらしい。
 カルタ競技は1チーム5人が同時に争い、3人勝ったチームが勝ちとなる。決勝戦は千葉と8連覇を目指す東京、同時進行の3位決定戦は埼玉と群馬だった。どちらの試合も、2対2となって、勝敗は最後の1組にかかった(勝負は50枚の札を全て取り切ると終わり、ではなく、片方の陣地の札がなくなると終わりである。相手の陣地の札を取った時には、「送り」と言って、自陣の札を相手の陣地に1枚移すので、極端に言えば、25枚読まれた時点で勝負が終わることもあり得る。差が開いた組ほど早く終わるので、同時に始めても、1組ずつ順番に終了し、最後に残る組というのが出てくる。一応、勝負がついても5組目が終わるまでは競技を続けるようだが、予選だと3組で勝負が決まった試合も少なくなかった)。これがなんと、共に運命戦になったというのだ。
 運命戦とは、1組2名のそれぞれの陣地に札が1枚だけ残った状態を言う。どちらの札を取ることも可能なのだが、0.1秒以下を争っている状況下では、少し近い分だけ、自分の陣地の札の方が取りやすい。読手が次にどちらの札を読むのか、勝負は選手の実力よりもその運命に委ねられた、ということである。結果、東京は8連覇を逃し、千葉が優勝。3位は埼玉になったらしい。子供たちは、私が彼らよりも遅れて帰宅すると、興奮冷めやらぬ、といった感じで話してくれた。
 確かにいい勉強はしたのだけれど、何をするでもなく、駅構内を行き交う人に「こんにちは〜」とか声をかけるだけの時間は長かった。疲れた、疲れた。塩釜市体育館では、2日おいて、5日からインターハイ少林寺拳法」が始まる。私はもうおしまい。