詩「人生遠視」考(1)


 最近、授業で『智恵子抄』を読んでいるという話は、少し前に書いた。

 実は、この詩集に含まれる作品の中で、どのように解釈すべきか、以前から悩んでいた作品がある。今回も、その作品を前にして思案をした。そして、私がこの詩をどう読むか、少し書いておこうか、という気になった。


  人生遠視

足もとから鳥がたつ

自分の妻が狂気する

自分の着物がぼろになる

照尺距離三千メートル

ああこの鉄砲は長すぎる


 この詩は、智恵子の狂気に触れた最初の詩、智恵子のことを「妻」と呼んだ最初の作品として、『智恵子抄』の中で、決して避けて通れない位置を占めている。だから、あまた書かれた高村光太郎論もしくは『智恵子抄』の作品論において、誰もがやむを得ず言及はする。しかし、解釈に踏み込んだものは少ない。誰もが、戸惑い、解釈に悩んだ結果として、深入りすることを避けているような気がする。つまり、この詩についての言及が少ないのは、自明だからではなく、みんなよく分からないからだ。だとすれば、私が、多少的外れな解釈を示したとしても、世を惑わせたとして非難されたりはしないのではないか。

 この詩が書かれたのは昭和10年1月22日。ただし、その時は、1行目と2行目の間に「自分の妻が毒をのむ」という行があり、その代わり3行目「自分の着物がぼろになる」がなかった。『智恵子抄』で最も短い詩である。書かれた当時、智恵子が自殺未遂をし、精神が崩壊し始めてから、既に3年あまりが経過し、智恵子は紆余曲折の末、ゼームズ坂病院に入院していた。

 さて、いくつか見られる先人の諸説を確認しておこう。ほとんど例外的に、この詩について多くの字数を費やしているのは、上杉省和氏である。


「智恵子の発狂を知った時の驚きを謳った詩です。智恵子の発狂が思いもかけぬ突然の事態であったことを、「足もとから鳥がたつ」と表現したのです。「足もとから鳥がたつ」とは、予期せぬ事態の生じたことを意味する常套表現ですが、この「鳥」は、もしかしたら智恵子のことかも知れません。智恵子が自分の手の届かない世界へ行ってしまった、との思いを託したのかも知れません。(中略)「自分の着物がぼろになる」とは、着物が着物本来の機能を失ったこと、すなわち妻が妻でなくなったことの比喩表現でしょうか。自分の心がもはや妻に届かなくなってしまった、との嘆きを表したのです。足もとから飛び立っていった鳥、すなわち鶴女房が智恵子のことだとすれば、「着物」は鶴女房が自らの羽で織ったもの、すなわち智恵子の分身でもあるわけです。「自分の着物がぼろになる」とは、智恵子との〈同棲同類〉の生活が崩壊したことを意味するはずです。自分の生活と芸術の拠って立つ基盤が、もろくも崩れ去ってゆくことへの嘆きが、こめられているようです。(中略)「照尺距離三千メートル/ああこの鉄砲は長すぎる」という末尾の2行は、解釈に苦しむ箇所です。伊藤信吉著『鑑賞智恵子抄』は、次のように解釈しています。

 「照尺距離三千メートル」は何の距離だろう。それまでいつも一緒だった智恵子夫人が、刻々に人生の現実から遠のいて行くその距離だろうか。それまで人生というものが、いつも自分の手中にあったのに、今は遠く隔たったということだろうか。智恵子夫人の狂気で生活の一切のバランスがくずれてしまい、どこに何の焦点があるのか、もはや照準を定めることが不可能だ、ということだろうか。おそらくこれらに近い寓意である。」

 このような解釈も可能ではあるでしょうが、別の解釈も出できそうです。「照尺距離三千メートル/ああこの鉄砲は長すぎる」とは、三千メートル先の標的をも射貫くことのできる高性能の鉄砲が存在することへの嘆き、と解釈できないでしょうか。そのような鉄砲があるとすれば、どのような鳥でも撃ち落とされてしまうわけです。1行目の「鳥」が智恵子のことだとすれば、智恵子がこの「鉄砲」から逃げおおせることは不可能です。つまり、「この鉄砲」とは、智恵子を襲った宿命の病い、すなわち精神分裂病のことではないでしょうか。」(『智恵子抄の光と影』大修館書店、1999年)

 

 中に引用されている伊藤信吉氏の解釈は、一部が大島龍彦・大島裕子編著『「智恵子抄」の世界』(新典社、2004年)にも引かれているが、大島龍彦氏は、その後、この詩に焦点を当てた論文を発表し、次のように書いた。


「先ず不意打ちをくらった驚愕を「足もとから鳥がたつ」と、冒頭の1行で表現し、次にその飛び立つ立ち去り方が「狂気」だとストレートに表す。続いて日常の破綻、生活の全てが崩壊することを「自分の着物がぼろになる」と比喩し、更に、将来の展望は銃の照準具を持ってしても定めがたいと結ぶ。」(大島龍彦「『智恵子抄』考:詩「人生遠視」とその機能」(『名古屋学芸大学研究紀要 教養・学際編』第4号、2008年2月)


 もうひとつ、湯原かの子氏は、次のように書く。


「光太郎にとって、妻の発狂は「足もとから鳥がたつ」ほどの驚愕だった。そして日常生活はぼろ布のようになった。しかし、行く末見定めがたく、この重荷は背負うにはあまりに重すぎる、というのだろう。」(『高村光太郎〜智恵子と遊ぶ夢幻の生』ミネルヴァ書房、2003年)

(続く)