方言ええなぁ



 先日、元女子アナである某知人が、1冊の本を送ってくれた。『いっちゃね!仙台弁の日々〜なんだりかんだり作品集』(協同組合みやぎマルチメディア・マジック刊)というものである。中には一般市民が書いたと思しき23の短いエッセイと、99首の川柳が収められている。すべて仙台弁で書かれたもので、彼女がそれらを朗読したCDが付いている。

 なかなか聞くことができずにいたのだが、最近になってようやく、本を見ながらその全編を聞き通すことができた。この間、3月4日には『朝日新聞』に、1995年以来、この本のタイトルと同名の「朗読の集い」を続けてきたという彼女に関する記事が出た。それによれば、彼女が「朗読の集い」を始めた20年くらい前から、仙台弁を恥ずかしいものではなく、ファッションとしてとらえる雰囲気が、若い世代の中にも生まれているという。

 私は血と家庭環境が関西で、最も長く住んでいるのが宮城県なので、標準語と関西弁と東北弁の三つを、かなり自由に操る(使い分ける)ことが出来る。仙台で方言を使っても、姫路で方言を使っても、土着の人から「あんた言葉少し変だね。どこの人?」と尋ねられることはない。これが少し自慢である。

 昔から、東北の人は方言を隠すが、関西の人は隠さないと言われる。おそらく、確かに傾向としてはその通りだと思うが、京都出身の母は、私に対してかなり厳格な標準語教育を行い、少なくとも小学校卒業までは、家の中で方言を使うことを許さなかった。学校を中心とする外では、東北弁で生活していた。

 中学校2年の夏に、兵庫県の西の端に引っ越した。昔の播磨国播州と呼ばれている場所である。現地の言葉を身に付けるのは極めて容易だった。いくら家庭内で方言禁止とは言っても、母や父(三重県出身)の使う標準語には、関西のイントネーションが、意識できないレベルで含まれていたのだろう。また、関西に引っ越すと、両親も家の中で関西弁を使うようになったという変な事情もあった。私にとって最も自然な言葉というのは関西弁である。今では、母との会話もすべて関西弁だ。

 しかし、東北弁とか関西弁という大雑把な言い方をすると、文句を言う人が必ずいる。東北六県、関西一円が同じ言葉を使っているはずもなく、仙台と山形、津軽が違うのは言うに及ばず、仙台と石巻だって違う。関西だって同じ。姫路界隈で用いられている播州弁は、神戸とも但馬とも違う。だが、イントネーションの枠はそう変わらないし、何より、私自身が混血であるため、言葉の純粋性に悪く言えば無頓着、よく言えば柔軟に適応していて、私が話す言葉を仙台弁とか播州弁とかに限定することができない。従って、関西弁とか東北弁というアバウトな表現を、あえて使わざるを得ないのである。だが、これだけ人間が流動的なご時世、狭い地域から出ることなく成長し、その土地の言葉の純粋性を完璧に身に付けている人なんてそうそういない。だから、私の亜流関西弁も、亜流東北弁もさほど問題にはならないのである。

 どこの言葉であれ、方言はいい。方言の世界には、せかせかと慌ただしく動く今時の日常と別種の時間が流れているようである。仲間同士の親密な時間が流れているようでもある。送ってもらったCDも同様である。エッセイの内容も、気負いや衒いのない、素朴な感じで好印象。

 ただし、あえてケチを付ければ、この朗読はあまりにも美しすぎる。津軽三味線や民謡を聴いていると、プロの演奏よりも、その土地の古老の「下手な」演奏に「味」や「風情」を感じて、心動かされる場合が多い。おそらく方言も同様なのだ。地方の生活の中から生まれ守られてきた言葉は、それが方言であると意識さえしないような土地の人々によって語られる時に、最も魅力的に響く。このCDには土の臭いがない。エッセイを書いた人たち自身が朗読したらどうだっただろう?それをこそ聞いてみたいものだ、と思う。