「天皇」論



 昨日、今日と、天皇パラオを訪問したというニュースが、テレビでも新聞でも大々的に報道されている。これほど天皇報道が過熱したのは、久しぶりなのではないか?とにかく、天皇夫妻の姿を目にすることの多い数日である。禁断の実を手にするような危うさを感じて、今まで天皇の話はあえて避けてきたのだが、それらを見ていて、少し書いておこうかという気になった。

 平居は天皇制反対派(天皇即時退位論者)だ、と思っている人がいる(多い)らしいことを、以前耳にしたことがある。私が、天皇が政治的に利用されることへの警戒心を持つこと並々でないのは確かだ。だが、それと天皇の存在を否定すること、まして、今の天皇をどう思うかということとは違う。少し気恥ずかしいのだが、特に今の天皇夫妻については、かなり強い敬愛もしくは尊崇の念を抱いているのである。

 天皇もしくは皇室に関する映像や情報というのは、すべて宮内庁のチェックを経ているはずなので、望まれる天皇像を汚すような、不都合なものが流出する可能性は極めて低い。だから、報道にはだいたいだまされていると思った方が無難なのだが、それでも、今の天皇夫妻の、本当に上品で穏やかで、善良な人柄の滲み出ているような姿を見ると、なんとも温かな気分になれる。こういう人が政治的に無色透明な立場で外国人と接することによって、日本人が受けている恩恵というのは計り知れないだろうと思う。仮に私が何かの事情で、天皇と直接言葉を交わす機会があったとしても、さすがに「畏れ多い」という感情は抱かないと思うが、本当に善良な人と接した時の安心感や、立派な人格に接したという感銘は受けるのではないかと思う。

 もうひとつ、私が偉いと思うのは、今の天皇夫妻や皇太子の歴史や憲法に対する考え方だ。太平洋戦争の激戦地、1万5千人近い人々が死んだパラオを訪ねるというのは、天皇自らが、以前から強く希望していたことだというのは、この数日特によく耳にする。私にとって特に印象深いのは、毎年行われる誕生日での記者会見だ。国体の開会式や、戦没者追悼式典といった、大規模な行事の場での「お言葉」に比べると、はるかによく天皇自身の思いが滲み出ていると思う。天皇はそこで、毎年のように戦争に言及する。

 例えば、一昨年のもの。「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」(引用は宮内庁のHPより)。これを、押し付け憲法論の立場に立って、しゃにむに改憲を叫ぶ人たちは、どのような思いで聞くのだろうか?天皇自身は、明らかに憲法を押し付けられたものとしてはとらえず、日本人が作ったものとして理解している。仮にアメリカ人の手が加わっていたとしても、彼らを協力者として感謝の対象と考えていたことが分かる。もちろん、いかに誕生日の記者会見といえども、天皇は自由に自分の思いを述べられるわけではなく、これさえ、事前に宮内庁のチェックが入っている可能性が高い。だが、明らかに安倍政権とは相容れない憲法観に立った話をしているわけだから、宮内庁が許可したのか黙認したのかはともかく、天皇自身の本当の思いが託された発言だろうと思う。

 この点は、皇太子も同じだ。今年2月20日、誕生日を3日後に控えた記者会見で、皇太子は「我が国は、戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」(同前)と語った。これもまた、憲法を尊重する立場での話だ。憲法を守るべき主体は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」(第99条)なわけだから、皇族が憲法を尊重する立場で話をするのは、あまりにも当たり前のことなのだけれど、首相を始めとする多くの閣僚級国会議員たちが、その「当たり前」を踏みにじっている現状を目にするにつけ、「当たり前」は燦然と輝く。

 天皇にしても皇太子にしても、彼らの教育に大きな力を持ったのは侍従たちのはずである。侍従たちは宮内庁の管理下にあり、宮内庁は政府の管理下にあるのに、天皇や皇太子が健全な憲法意識や歴史観を持つことができたのは、不思議と言うほかない。或いは、侍従による教育ではなく、昭和天皇の悔恨と教訓とが、直接、子へ孫へと伝えられたのではないか、と想像してみたりする。

 私は天皇の言動に大いに期待している。一方で、私のような人間が、天皇の発言を利用して護憲運動を活性化しようなどと考えた日には、逆に、天皇を政治的に利用しようと考える輩にも、その道を開くことになってしまうので、それは避けなければならない。ただひたすら、今上天皇夫妻のご長寿を願うばかりである。