「平和賞」の発表を前にして



 今週はノーベル・ウィーク。物理学賞に日本人3人が選ばれて、大変な騒ぎになっている。私は、受賞者が日本人であるかどうかは気にしないことにしているので、殊更にはしゃごうとは思わない。だが、日本人がノーベル賞を受けることになると、受賞者のコメントをたくさん読むことができる、というのはいいことである。今年に限らず、彼らのような一流の研究者の言葉には、今の世の中の流れとまったく相反する「本物」がたくさん含まれていて、いつも感動的だ。今は、赤崎氏だけが日本国内にいるとかで、彼のコメントが多く報道されていたが、まさしく箴言・格言の宝庫である。

 ところで、ノーベル・ウィークの直前には、日本のみならず、世界各地で「予想」というのが盛んに行われる。そんな中で、今月5日には、ノルウェーの国際平和研究所が、平和賞受賞可能性の筆頭に、「憲法第九条を保持してきた日本国民」を挙げたというニュースが流れた。昨年までの10年間で、この研究所の予想が的中したのは1回だけらしいので、甚だアテにはならない。一応「護憲派」である私は、護憲運動上のメリットとして、それが実現すればいいなぁ、とは思うものの、第九条は、日本国憲法が「硬性」であるという構造によって守られてきたに過ぎないのであって、日本人全体がそれを保持するために積極的な国民的努力をしてきたとは思えないので、国際的な舞台で評価されるのは少し後ろめたい感じもする。ただ、平和賞に関するノーベルの遺言はごく短い二つの文だけなのだが、そこに受賞すべき人物として、「軍隊の廃止または削減、(中略)のために最大もしくは最善の仕事をした」人を挙げているので、日本国憲法第九条というのは、ノーベルが考えていた平和賞の精神に、方向性として非常によく沿っていると思う。

 経済学賞が本来のノーベル賞ではない、というのは有名な話だが、平和賞というのも分かりにくい賞である。自然科学系の賞が、選考に不正が行われず、それなりに確かな目で受賞者を決定してきたために(長い歴史の中には、エラーもあったようだが、不正はあった話を聞かない)、世界で最も権威ある賞としての地位を確立させているのはいいとして、平和賞の過去の受賞者を見てみると、「佐藤栄作」を始めとして、誰が見ても納得、とはいかない例が少なくないのではないか?また、平和とは何か、平和とはどのように実現されるべきものなのか、という哲学的問題との関係で、「評価(賞賛)」と「内政干渉」との間でぎくしゃくすることも多い。過去の実績を評価するのか、今後へ向けてのメッセージなのか、という二つの立場の間で揺れ動いているとも言えるだろう。選考を担当するノルウェー国会のノーベル委員会が、今年はどんな判断をするのか、とにかく楽しみにしていよう。

 話が少しそれてきたので戻す。

 昨日の『河北新報』には、国際平和研究所の予想について、非常に大きな特集記事が載っていた。それを読んでいて私が驚いたのは、日本国憲法第九条がノーベル平和賞を受けることになった時についての、自民党改憲派閣僚のコメントだ。


「そんなこと(平和賞受賞)になったら自民党は終わりだ。」

「政権への影響は計り知れない。よもやないと信じているが、何が起こるか分からないのが世の中だ。」


 念のために確認しておくと、憲法第九条とは、次のようなものである。


「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

 国の交戦権は、これを認めない。」


 理念としては至ってまっとうなことを述べていると思う。この条文とそれを守ってきた(ということになる)日本国民が国際舞台で評価されることで、「終わり」になる自民党って、一体何なのだろう?私にはまったく理解できないのである。記事には、第九条受賞に肯定的な谷垣幹事長の意見も引いてあって、上の意見が自民党の総意というわけではないらしいが、それにしても、「憲法第九条を保持してきた日本国民」が平和賞を受賞して、その「日本国民」が同時に自民党政権を強力に支持しているというのは、なんとも理解しにくい。ノーベル委員会は、その点も見逃してはならない。

 つまり、「平和賞」が実績を評価するものならば、憲法第九条と日本人は受賞に値しない、将来へ向けてのメッセージであるなら意味を持つ、ということである。

 自民党というのは、私が見たところ、「利益」に対して極めて貪欲な政党である。極言すれば、「金こそ全て」だ。そしてもちろん、その政党がこれだけ安定的に支持されてきたのは、日本人自身がそのような性質を帯びていることを意味する。もうけるために憲法第九条が邪魔になるから変えたいのである。憲法第九条を守ることが「利益」になるなら、自民党も守ろうとするに違いない。理念や哲学などどうでもいいのである。ノーベル平和賞を受賞し、その後、平和賞を「世界遺産」という看板のように利用して、憲法第九条でもうけられる何かの方法が開発できないか? そんな愚にもつかないことを考える。