核兵器禁止条約

 今日も寒い。石巻の最高気温は、昨日より更に下がって22.5℃。
 北朝鮮アメリカの関係がますます怪しい。本当にただの挑発合戦で終わってくれるのかな?北朝鮮はもとより怪しいが、アメリカの大統領も大統領で、とても「まとも」とは言えない人である。戦争になれば一瞬して北朝鮮消滅などと多くの人は考えるかも知れない。だが、第1次世界大戦がそうであったように、すぐに終わると思っていた戦争が、何かの都合で泥沼化することなど決してあり得ないことではない。思い上がりは危険だ。先制攻撃というわけにはいかないだろうが、北が本当に動いた時に防衛できるのか?仮にそれが難しいとすればどうすればいいのか・・・現実に対処する時の判断というのは難しいものである。

 昨日は長崎の原爆忌であった。今年は広島でも長崎でも、日本政府が核兵器禁止条約を批准しないことに対する強い反発が問題となった。問題となるのは当然だろうが、批准しないという政府の対応は本当に間違いだろうか?唯一の被爆国である日本が条約を批准せずにどうする?というのは、かなり感情的な意見だと私には思える。
 思うに、世の中の規則の多くは、それをしっかりと守ることが前提である。一方、守ることは出来ないが、目標として掲げるという性質のものもある。その代表格は、我が日本国憲法第9条である。今更ながら確認。

「第9条:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 国の交戦権は、これを認めない。」

 よく言われるとおり、どう考えても日本の現状はこれに反する。自衛隊の存在は違憲である。「前項の目的を達するため」と条件があって、「前項」に防衛戦争が含まれていないから、防衛のための軍隊は第2項の「陸海空軍その他の戦力」に該当しない、というのはやはり屁理屈である。かといって、自衛隊は解散!とは言えない(→参考記事)。
 ならば、やはり第9条をこそ書き換えるべきである、ともならない。単純にどうするのが正しいかというだけの問題ではない。改憲を言い出す人々に対する総合的な不信感、改憲を機に9条の精神そのものがなし崩しになってしまうという強い不安感、そういったものがあって、やはり9条は究極の目標として現状維持すべきだ、というのが現時点での私の考えであり、おそらくは国民の総意というものであろう。
 つまり、憲法であれ、法律であれ、条例であれ、条約であれ、規則には必ず守られるべきものと、最終目標や方向性をのみ示して、規定が即座に現実化することは必ずしも求めないものと2種類がある、ということである(以下、「現実規定」「理想規定」と呼ぶ)。
 しかし、この2種類がごちゃごちゃに存在することは不都合だ。理由は二つある。一つは、規則の頭に、それが「現実規定」か「理想規定」か明示してあるならともかく、そうでなければ混乱をもたらす可能性がある、ということである。もう一つは、「理想規定」がある程度以上に増えてしまうと、どうせ実現できっこないけど、とりあえず規則として決めておけ、という軽い動きが生じ、「理想規定」が理想として機能しなくなってしまう、ということである。
 日本国憲法でいえば、「理想規定」は9条だけで十分であり、他は「現実規定」でなければならない。憲法をお題目にしてはいけない。
 さて、当の核兵器禁止条約である。私は、世界中の全ての国がこの条約を批准したとしても、それは「理想規定」であると思う。残念ながら、北朝鮮にせよ、ISにせよ、世の中には冷静な話し合いの成り立たない国というのが常に存在する。日本と中国、韓国、ロシアとの領土問題を考えてみても、話し合いによる解決なんて「きれいごと」だな、と思う。平和な状況下で、いくら外交的解決に夢を見ても、紛争というのは冷静さを失わせるものなのだから、本当に問題が発生した時には、どこまでそれが有効かは怪しい。そして、どんな条約を作ったところで、最後の砦としての核兵器を手放さない国も、これから開発を進める国も必ずある。その場合、国際社会としてどのように抑止力を高めるのか、それらの兵器を使えないようにしていくのか、ということは考えないわけにはいかない。
 核兵器禁止条約を作り、良心的な国がそれに従った結果として、横暴な国が世界を支配するようになる、という状況を作るわけにはいかない。すると、核兵器禁止条約はどうしても「理想規定」から脱することは難しい。「理想規定」でもいいというなら批准する。「現実規定」でなければ意味がない、というなら批准できない。日本政府が条約を「現実規定」と考えているとすれば、批准しないという判断は必ずしも間違っているとは言えない。安倍政権大嫌い、かなり強固な護憲派である私にしてそう思う。もちろん、批准しないにしても、核兵器は全廃すべきだという理想は、強く心に持っている必要がある。