過信は禁物「文民統制」

 軍、日本で言えば自衛隊を動かす上で、「文民統制(シビリアン・コントロール)」ということが言われる。日本国憲法においては、第66条で、国務大臣は「文民」でなければならないと規定されているが、実質的にこのことが問題になるのは防衛大臣だけであろう。なにしろ憲法の規定なので、アメリカ人によって原案が書かれたものであり、日本独自の考え方ではない。それは、武力を持つが故に横暴になりやすいとか、とかく功績を求めて暴走しがちであるという軍人観に基づくだろう。日本の場合、戦前、軍部が暴走することで戦争が拡大したという教訓も込められているかも知れない。私も、必要悪としての軍は文民の管理下に置かれることが絶対に必要だ、それこそが軍の暴走を許さない唯一の方法だ、と信じて疑ったことがなかった。
 ところが、昨日、毎日新聞で次のような記述を見付け、意表を突かれた気分になった。アメリカ大統領の過激な発言によって米朝武力衝突が引き起こされる可能性と、それに対する日本の対応について述べた部分である。

防衛省幹部は、軍出身のマティス氏らが政権中枢にいるため『戦場を知る人がいる限り、事態が性急に動くことはないだろう』と分析している。」

 マティスという国防長官は、ばりばりの軍人である。沖縄で悪名高きあの「海兵隊」で、そのキャリアのほとんどを過ごし、湾岸戦争イラク戦争という修羅場をくぐり抜けてきた。海兵隊指揮官としての実績から「狂犬」とあだ名され、トランプ大統領が彼を国防長官に指名した時も、「狂犬マティス」などと紹介したものだから、私は彼のことを見境のない荒くれ者だと思って危惧していた。
 アメリカでは、軍人は退役して7年経たないと国防長官にはなれない。マティスは3年しか経っていなかったため、連邦議会での審議を経て国防長官に就任した。限りなく武官に近い。
 さて、上の記述が何を意味するかというと、妄想世界の中でものを考え、勝手なことを言えるトランプ大統領と違い、戦場の悲惨な現実を知っているマティス氏は、大統領よりも武力の使用に慎重な態度を取るはずだ、ということである。
 なるほど、文民が軍をコントロールしている方が安全だ、という保証などないのだな。むしろ、文民は戦争を観念の世界で考える。戦争をゲームと同一視するようになったとしても不思議ではない。それなら、戦場で人間が死に、傷つく姿を知っている現場の人の方が、現実的で冷静な判断をすることもあり得る。確かに、少なくとも、国防長官就任後のマティス氏についていえば、上司たるトランプ大統領よりもはるかに言動が良識的だ。
 自衛隊の制服組が、どれだけ実際の戦争を知っているかは怪しいところだ。もちろん、いろいろな実際的トレーニングは施されているのだろうが、それでも、少なくとも実戦経験を持つ人は皆無である。だとすれば、アメリカとは違って、日本の防衛組織はむしろ実質的に全員が文民であり、戦争の本当の恐ろしさを知らない人たちだけで、戦争について考え、準備をするということが起こっていることになる。それは必ずしも善ではない。戦前の日本だけを思い浮かべながら、文民統制を過信することは止めた方が良さそうだ。