ノーベル賞の賞金

 「正規の」ノーベル賞の発表が終わった。あえて「正規の」と書いたのは、A・ノーベルの遺産と遺言に基づく賞は、医学・生理学、物理、化学といういわゆる「自然科学3賞」と文学、平和だけであって、あさって発表される経済学賞は、スウェーデン銀行の発案に基づいて1968年に新設された、ノーベルとは無関係のものだからである。
 今年の受賞者は、医学生理学賞、化学賞、平和賞が各2名、物理学賞が3名、文学賞が1名であった。私が今日書こうと思ったのは、物理学賞と文学賞に関する報道に目を通していて、妙な違和感を覚えたからである。
 自然科学3賞を単独で受賞することは稀である。近年、特にその傾向が強い。医学生理学賞では、2016年に日本人・大隅良典氏が単独受賞したので、まだ記憶に新しいが、調べてみれば、物理学賞に至っては、1992年以来約30年にわたって複数名がその栄誉を分け合っている。学問、特に自然科学分野では、元々まったく単独の研究などあり得ない。その上、近年、扱うテーマが複雑化し、実験機器の巨大化も進んできたとなれば、複数名(上限3名)の受賞に対しての違和感はまったくない。むしろ、3名に絞り込むことに無理を感じるほどである。
 私が違和感を覚えた今年の物理学賞に関する報道とは、受賞者3名が賞金をどのように分け合うかの指定があったことである。それによれば、真鍋氏とハッセルマン氏が4分の1ずつ、パリーシ氏が2分の1ということだ。このような格差付けは今年に限ったことでは無く、毎年のようにあることなのだが、果たして、この差はどのような根拠に基づいて付けられるのだろうか?
 ノーベル賞の賞金は、各賞1000万スウェーデン・クローナと決まっている。今のレートで1億2700万円に相当する。ノーベル賞の選考の的確さもさることながら、ノーベル賞が殊更に有名で権威を持つのは、この賞金の膨大さに起因しているであろう。今年の物理学賞で言えば、真鍋氏とハッセルマン氏が3175万円、パリーシ氏が6350万円となる。
 一方、文学賞を複数名が分け合ったことはない。レベルの高い文学作品ほど、共同創作は困難なので、当然と言えるだろう。したがって、1人が1億2700万円を全て受け取る。
 どうもこれが釈然としないのだ。やっていることの性質が余りにも違うので、自然科学3分野と文学の世界に対する貢献度を比較するわけにはいかないのだが、やはり不公平なのではあるまいか? 
 自然科学分野でノーベル賞をもらえば、講演に呼ばれる回数が増えるとか、その際の謝礼の金額が高くなるということは多少あるかも知れないが、経済的メリットはさほど大きくない。しかも、現役の研究者であれば、研究費はいくらあっても足りないくらいだろう。一方、文学には元手がさほどかからないし、ノーベル賞をもらえば、著書が世界各国で売り上げを伸ばすことになるはずだ。経済的メリットは、賞金以外でも非常に大きいように思われる。既にたくさん本の売れている人が受賞することだって少なくないだろう。
 また、平和賞は、今年も含めていろいろと軋轢を生みかねない賞だが、他の分野に比べて受賞者本人の懐に賞金が入りにくい賞である。平和を実現させるために活動している人たちは、社会的弱者のために活動している場合が多く、それには多くのお金が必要なので、賞金は活動費に回るからである。文学賞に高額の賞金は要らないから、その分を平和賞に回して欲しい、とも思う。
 ノーベルは、どのような分野に賞を与えるかの指定はしたが、賞金の分配方法については遺言していない。必ずしも5つの賞に均等配分する必要はないのである。だとすれば、せめて「各分野いくら」ではなく、「1人いくら」という形にできないものだろうか?