分からないことに気づけない

 昨日の新聞は、タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(イギリスの教育専門誌、THE)による今年の「世界大学ランキング」の結果を取り上げていた。東京大学が46位で過去最低となったことを、いかにも衝撃的に捉えている新聞が多かったように思う。200位以内に入ったのは、東大の他、京都大学の74位だけ。250位まで拡大すると、大阪大学東北大学が入り、400位まで拡大すると東京工業大学名古屋大学九州大学が入る。トップ10はアメリカ、イギリス、スイスの大学で占められている。上位50に、22位のシンガポール国立大学を始め、北京大学(27位)、清華大学(30位)、香港大学(40位)、香港科技大学(44位)と、アジア(基本的に中国)の大学がそれなりに名を連ねているので、なおさら、日本の大学のふがいなさが気になるのだろう。
 評価の基準は、論文の引用頻度、教員数、大学の収入など独自の13指標だそうだ。あまり信じすぎるのはよくないだろうが、一面の真理を示してもいるような気もする。
 これを見ながら私の頭に浮かんだのは、8月にネットで読んだ団藤保晴氏による「やはりノーベル賞大隅さんの警鐘を無視した政府」という記事だ。その記事の中には大隅良典氏の警鐘というものが具体的には書かれていないが、大隅氏が昨年、ノーベル賞受賞の記者会見で、日本政府による基礎研究予算の削減について強い危機感を表明したことは、私の印象にも強く残っている。しかし、それは大隅氏に始まった話ではない。大隅氏がその発言をした直後、やはりノーベル賞受賞者である梶田隆章氏が「100%賛成」との意思表明をしているし、大隅氏よりも前に益川敏英氏も同様の発言をしていた。探せば、ほとんどの人が同様のことを言っているのではないだろうか?
 団藤氏は、科学研究費補助金科研費)という競争的資金の割合が高まり、教官当積算校費の割合が低下してきたことが、すぐには成果の見えにくい基礎研究の衰退を推し進めていると指摘した上で、日本政府が大隅氏の警鐘を無視して、これまで通りの政策を堅持していることを批判している。科研費のような競争的資金を増やすことは、政府には「選択と集中のさじ加減」ができるとの思いがあるからであり、団藤氏はそれを「不遜」と評する。
 大学での研究に投じられるお金の仕組みを、私はよく理解していないのだが、それでも、2004年に国立大学を法人化して以来、各大学への運営交付金を毎年1%ずつ、昨年までに約1500億円も削ってきたのは有名な話だと思う。
 最近、大学の先生と知り合って名刺をいただくと、「特任」という2文字が従来の肩書き(教授、准教授、助教)の上に付いていることが非常に多い。私はそのたびに、「特任」の意味を尋ねる。任期が設定されていたり、給与が大学以外の所から出ていたり、答えはバラバラだが、はっきりしているのは、きちんとした身分保障がされていないという点だ。お金が先細っていく中で、大学も先行きが不安であり、常勤職員の雇用には慎重になるということだろう。思えば、やはりノーベル賞受賞者である山中伸弥氏が、受賞会見で、彼の研究所にもアルバイト的な身分不安定の職員が非常に多いということを嘆いていた。
 自然科学3賞を受賞した日本人と元日本人は、合わせて22人である。その中に、アメリカ国籍を取得した人が2人(南部、中村)、国籍は日本だがアメリカ在住の人が3人(利根川、根岸、下村)いる。合わせて5人だ。4人に1人に近い。なぜ彼らがアメリカに生活=研究の場を求めたか・・・ここに表れる問題も明らかだ。
 とまあ、長々と書いてきたものの、こんなことは、既に一部の人々によってあちこちで語られていることである。
 安倍首相のような政治家が、大隅氏他の科学者たちの言葉を理解できないのは、日頃の見識の低さを見ていれば当然と思う。それは、「無視」というような悪意的なものではなく、見識が低すぎて、単に大隅氏の言葉を理解できないだけのことであろう。そして、私が特に感慨を抱くのは、おそらく彼らには自分たちが問題を理解できていないということが分かっていない、ということだ。自分が分かっていないことに気付く、すなわち「無知の知」は確かに高度な知性によってのみ実現するのである。
 自分たちが分かっていないことに気付かず、分かっているのかどうかを疑うことも知らない人々が、自分が分かっていないことに気付かず、分かっているのかどうかを疑うことさえ知らない政治家を選び、その政治家たちが自信満々、目先の利益を求め、人々の歓心を買おうと目先の利益と因果関係が明瞭に見える政策だけを実行しようとする。それは悪循環を起こして、やがては、ノーベル賞を取れず、大学ランキングが下がるどころか、基礎研究の大切さを認識できる人さえいない、という状態を作り出してしまうかも知れない。救いのない世界である。