1から10より、0から1

 先日の「照洋丸」(→その時の記事)に続き、今日も、我が家の沖に水産庁の漁業取締船がやって来た。「たつまい」(499t)だ。今日はずいぶん近いので、我が家の安物双眼鏡でも、水産庁のファンネルマークが容易に確認できたが、船の名前は分からず、例によってMarine Trafficのお世話になった。大きな船ではないが、白くてすらりとしたきれいな船だ。
 「たつまい」という名前は意味不明だ。調べてみれば、気仙沼の大島最南端に龍舞崎という岬があって、そこから取られた名前だという。この船が所属している水産庁仙台漁業調整事務所というのは、福島から青森に至る東北地方太平洋岸を管轄していて、「たつまい」の母港は気仙沼なのだそうな。そんな都合で命名されたのだろう。東日本大震災で被災し、改修、解体、復活(傭船)とドラマがあったようだが、あまり詳細な記録は見つけられなかった。楽しいなぁ、船。
 それはともかく・・・。
 日本学士院賞の受賞者10名が昨日発表された。私が知ったのは今日の新聞。
 業績を見れば、「あぁあれした人ね」と思う人が半分くらいはいるが、実際に名前を知っていた人は1人しかいない。その1人とは宮坂力氏だ。最近よく話題になるペロブスカイト太陽電池の発明者、ということになっている。なにしろ、ペロブスカイト太陽電池は製造が簡単で、弱い光にもよく反応し、薄くて軽く、柔軟なので曲面に貼り付けることも可能という優れものだ。脱炭素時代にあって、評価されるのは当然だろう。ところが、私はいまひとつスッキリしない。
 私が初めてペロブスカイト太陽電池をいうものを知ったのは、おそらくサイエンス・ゼロという番組ではなかったかと思う。2~3年か、あるいはそれ以上前の話だ。その時の話によれば、ペロブスカイトという物質を太陽電池に使えないかと言い出したのは、宮坂先生門下のある大学院生だったということだ。後で調べてみると、小島陽広(こじまあきひろ)という人である。
 大学院生の提案に耳を傾け、後押しした宮坂氏は偉い。エネルギー変換効率を高めていく上で、宮坂氏の果たした役割も大きいと思う。宮坂氏は、ペロブスカイト太陽電池の発明を自分だけの手柄とせず、何かにつけて小島氏の名前は出しているようで、その点についても誠実さを感じる。
 しかし、である。どうも、昨今のペロブスカイト太陽光電池を巡る社会の動きを見ていると、宮坂氏ばかりが持ち上げられているように見える。それが私のスッキリしない理由だ。
 思うに、ゼロから1を生み出すのと、1を10にするのとで、どちらが難しいか、と言われれば、私は間違いなくゼロから1であると思う。1は10倍すれば10になるが、ゼロを何倍しても1にはならない。ゼロを1にするのは、1を10にするのとはまったく次元の違う飛躍、発想が必要だと思う。その意味で、小島氏の着眼には大きな価値があった。
 ネットで探してみれば、小島氏は現在、日本ゼオンという会社で研究を続けているらしい。宮坂氏を顕彰するのはよいが、であれば、小島氏も少なくとも同様に扱われるべきではないか。宮坂氏はノーベル賞候補との呼び声も高いと聞く。ぜひノーベル賞を受けて欲しい。ただし、それも小島氏が一緒にだ。ペロブスカイトに目を付けた氏の業績は、もっともっと語られていい。