私と戦争との距離

 今日は3月11日。東日本大震災被災地のど真ん中に住んでいる私にとって、意味不明の騒々しさがうっとうしい日だ。今(18:02)も、我が家の下方からスピーカーを通した何かの歌が聞こえてきている。それが追悼??単に暇なのだな。
 地震が起きた14:46は勤務先にいた。黙祷を強制されるのが嫌で職員室を抜け出し、用事も無いのに校舎内をふらふらと歩きながらサイレンの音を聞いていた。
 ところで、震災から10年が過ぎたあたりから、よく思うことがある。それは、私と太平洋戦争との時間的隔たりについてだ。
 私は1962年の生まれで、1962年は終戦後17年目だ。東日本大震災から13年ということは、あと4年で、私と戦争との時間的隔たりに等しくなる。13年という時間がひどく短く感じられるとなれば、実は、私の生まれた頃というのは、ずいぶん戦争に近かったんだなぁ、と驚くのだ。
 もちろん、生まれた時にはそんな事情は認識していないわけで、私が生まれる前の時代に戦争というものがあったということを知ったのは、せいぜい小学校高学年、1970年代半ばのことだろうから、その頃には戦後30年近くが過ぎているのだけれど・・・。
 私の身の回りに、戦争があったことが感じられるものは一切無かった。高校時代、時に訪れる大阪の町で、国鉄大阪駅から阪急梅田駅に行く途中の階段の所に、白装束の傷痍軍人が立っていたのが、ほとんど唯一、日本に戦争の時代があったことを生々しく感じさせてくれるものだった(→参考記事)。
 震災から13年目の今、身の回りの風景は一変したが、街の中には、まだ放置された廃墟のような建物が少し残っている。撤去、もしくは改修しようと思って出来ないはずはないので、なぜ残っているのかはよく分からない。あと4年、あるいはあと15年後に、それらが残されている可能性は低いだろう。確かに、どんなに大きな社会的事件でも、20年くらい経つと形跡はなくなるものなのだ。
 私は、時間というのは加速していると思っている。50年前よりも、おそらく今の方が、1年による世の中の変化は激しい。しかも、全国66都市が空襲で焼き尽くされ、あらゆる場所から出征者・戦死者が出た戦争の方が、震災よりもはるかにダメージが大きかっただろう。だとすれば、震災から13年が経った時点で、ほとんど形跡が残っていないのは怪しむには当たらない。
 私が今受け持っている生徒(高校1年生)は、3歳くらいで被災している。震災の記憶はまったくない。仮設住宅住まいの記憶くらいはあるにしても、震災の話を聞くことは、私が戦争の話を聞く時の実感に近いだろう。かなり意識的に過去を学ぼうとしなければ、震災は歴史に関する「知識」に過ぎない。
 最近、震災を経験していない、もしくは記憶していない世代による語り部活動というのがしばしば話題になる。私が以前から言っている通り(→こちら)、勉強は常に学ぶ側の意識の方が大切なのだから、彼らが、「何かを教えてやろう」みたいな意識で語り部活動をするなら、あまり意味が無い。彼ら自身が過去から学ぼうという意識を持つ必要がある。
 震災後13年。風景がすっかり変わっただけでなく、そんな意識の分岐点にもさしかかっているようだ。