「傷痍軍人」の記憶



(10月18日付け学級通信より)


 台風で休校だった一昨日、私は学校で黙々と仕事をしていた。鉄筋コンクリートの建物の内にいると、風も雨もほとんど気にならなかったのだが、伊豆大島はもとより、この石巻でも意外に大きな被害があったらしい。これだけ大きな気象災害が後から後から連続するのは、もはや決して偶然ではあり得ないのに、なぜか世の中の人々は不安や恐怖を感じず、従って、経済や便利さを犠牲にしてでも温暖化対策を、などという気にはならないらしい。1日に5回以上、私は諸君に向かって「非常識」という言葉を口にするが(笑)、「多数意見=常識」と考えるならば、私ほど非常識な人間も珍しいと自覚している。だけどやっぱり、もっともっと大きな台風が頻繁にやって来るようになる。

 違う話。

 今月の3日、「日本傷痍軍人会」が解散したというニュースが流れた。「傷痍軍人」とは、太平洋戦争でケガや病気のために障害を持つようになった元軍人の集まりである。会は、国家の犠牲者である自分たちの処遇改善を求めるとともに、戦争の悲劇を語り伝えてゆくことを目的とする。戦後67年を経て、メンバーの平均年齢も92歳となり、会員数は発足時の70分の1にまで減った。解散は、それによって活動の継続が困難になったという理由である。仕方のないことであろう。

 私が兵庫県民だった高校時代、大阪に行くと、国鉄(現JR)大阪駅と阪急梅田駅を結ぶ通路の途中にある階段に、白装束を着た数人の男の人がいつも立ち、胸の所に小箱を持って募金集めをしていた。手足の一部が無い人も多かった。とても印象的な光景だった。親に聞くと、戦争で負傷した人で、「傷痍軍人」というのだ、とのことだった。私は当時、事情をよく知らなかったので、手足を失って仕事ができないから、人からお金をもらって生きている、いわば乞食のような人たちなのだろう、その原因が国家の戦争となれば気の毒なことだ、と思っていた。しかし、後から、それがとんでもない間違いであることに気付いた。彼らは、あえて白装束で人目を引き、戦争の悲劇を訴えていたのである。お金も、そのような活動に使われていたのだ。

 彼らは、自分たちの活動が、世の中にどれだけ影響を与えているか実感できてはいなかったかも知れない。今、私がこんな所で、時々彼らのことを思い出していることも知らないだろう。活動の結果はすぐに出るとは限らない。だが、動くことで人の心に何かが残る。記憶はそうして伝えられていくようにも、結局は消えてゆくようにも思う。伝えることの難しさと重さとを思う。悲劇性において戦争は津波の比ではなく、教訓は更に豊富だ。


【世界の広さが実感できた!!・・・花園予選準決勝】

 50点差くらいで止まれば大健闘だ、あわよくば勝利を・・・などという考えは、試合が始まってから2〜3分で吹き飛ばされた。後はひたすら育英のトライラッシュ。準決勝は、それまでよりハーフが5分長いということもあって、終わってみれば156対0の歴史的(?)大敗となった。

 9月に書いたとおり、育英は目下県予選17連覇中。だが、全国大会ではあまり勝てない平凡なチームである。その育英を破り、全国大会で上位に入るような高校を出た選手が、大学や社会人を経てオールジャパンのユニフォームを着ることになるが、彼らが出場する国際大会で、日本はほとんど勝てない。世界はなんて広いんだろう・・・!育英にこてんぱんにやられる宮水を見ながら、私はそんなことを思い、感動していた。

 大敗した宮水だが、選手は胸を張っていい。3年間、土日もないラグビー部の練習に耐え、県で3位になったメンバーを笑う資格のある人などほとんどいないはずだ。


【E3進路事情最前線】

 昨日までの求人件数が569となり、早くも昨年の求人総数548を上回った。諸君にしてみれば、いくら求人票があっても、案外自分が行きたくなるような会社・職種というのは少ないもので、求人票が多いからよりどりみどり、という実感は少ないのではないかと思う。しかし、例年は、これよりも更に少ない求人の中から仕事を選んでいたのが現実なのだ。幸せである。

 《E3の現状》

 38人中、進学先決定が3人、就職内定が9人・・・進路決定率31.6%

 結果待ち(進学+就職)が5人、出願中が3人、指定校推薦による進学内定者が6人。 一切動きのない人(一度も出願せず、予定もない人)が3人いるのは困りものだ。

 私は、最初から言ってあるとおり、他の担任ほど細かく世話を焼いたりしない。礼儀を尽くして頼まれたことはするけれど、諸君自身が人生を切り開かないと、どっちみちその先生きていけないからね。

 

(裏面:10月12日付け『日本経済新聞』より「プレゼン成功の秘訣」を引用

平居コメント:書くにしても話すにしても、技術についてはいろいろと語られる。しかし、表現したいことがないのを技術でカバーできたりはしない。では、表現したいことはどうすれば見つかるのか?それは、学ぶことと自分を見つめることからだ。)