そう言えば、3月5日に京都地裁で、「ALS嘱託殺人」裁判の判決が出た。翌日、新聞でその記事を見た時、私は目を疑った。なんと、懲役18年である。有罪になるだろうとは思っていたが、まさか18年もの懲役刑とは・・・。
数分後、なんだか変だな、と思い始めた。嘱託殺人罪の懲役刑って、上限がそんなに長いんだっけか?・・・慌てて、刑法を調べてみると、「6ヶ月以上7年以下の拘禁刑に処する」(拘禁とは懲役または禁固)と書いてある。やっぱり。
では、なぜ某氏には18年という懲役刑が課せられたのだろうか?どうやら、某氏は、ALS患者であるHさんを殺す時に一緒に行動した某氏の父親を殺した罪にも問われているため、その二つを合わせて18年ということになったようだ。
共犯者の父親を殺した件については、事情が分からないので、なんとも言えない。とりあえず、ALS嘱託殺人だけを問題とする。なお、事件が起こった時に、私は一文を書いている(→こちら)。考えはまったく変わっていない。
京都地裁が、難病患者の依頼を受けて医療従事者が殺害に及ぶことが許されるための「最低限の条件」を示したことは立派である。その条件とは次のようなものだ。
①苦痛の除去、緩和のために他の手段がないことを慎重に判断する。
②患者に説明を尽くし、意思を確認する。
③苦痛の少ない医学的方法を用いる。
④一連の過程を記録する。
その上で、某氏が主治医ではなく、SNSでやりとりしただけだったことから、①②の条件を満たしていないとした。また、某氏が130万円の報酬を受け取っていたことも重視したらしい。被告が争点とした憲法第13条(すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)については、自らの生命を絶つために他者の援助を求める権利や、死を援助した医療従事者が刑事罰から逃れる権利を保障したものではないとして退けた。
私は某氏を直接知らないし、今回の事件についても新聞・テレビの報道レベルでしか知らないので、あまり自信を持って論評は出来ない。それを断った上で、多少思うところを書いておくなら、以下の通りである。
まず何と言っても、130万円を受け取ったのが悪かった。これは、当初から私が指摘していた通りである(上でリンクを張った記事参照)。そのことに代表される通り、某氏のやり方はいささか軽率であった。また、私は直接見ていないが、事件当時よく報道されていた氏のブログも異様であって、Hさんの精神的な苦しみに本心から同情して、という感じには見えない。有罪になること自体は仕方がないと思う。
一方で、ALSで全身不随となり、胃ろうによって栄養摂取をしていたHさんの状態については、その苦しみが精神的なものであることもあって、さほど「慎重」でなくても、状況把握は容易であろう。Hさんは、死ぬ方法をかなり探していた様子がうかがわれるので、②の「説明」とて、何を説明すればよいか、という状況だったように思われる。
某氏には、いくら頼まれたとしても、医師免許剥奪や拘禁刑のリスクを冒してHさんを殺してあげる義理はなかった。130万円も端金であって、金に目がくらんだ犯行ではないだろう。すると、某氏の動機というのは何だったのだろう?「人を殺す」という趣味があったのかどうかは知らないが、それ以外において、どう考えても、私利私欲のための殺人でなかったことだけは間違いない。殺されたHさんは、心から感謝していると思う。
これを機に、ますます命の絶対化が進むことを私は恐れる。将来、何か重い病気にかかった時に、挑戦的な治療を選択することが難しくなると感じる。治療が期待通りの結果を生まなければ、身体、精神、またはその両方において苦しい生に耐え続けなければならなくなる。ダメだった時には安楽死(処方された薬などを使って自分で死ぬ)または嘱託殺人(依頼や同意に基づいて誰かが殺してあげる)という選択肢があると、不安なく挑戦的な治療を選択することも出来る。
安楽死や嘱託殺人の条件設定が難しいこと、ややもすればそれらに見せかけた殺人が行われてしまう危険があることは、私にも理解できる。しかし、医学には人の苦痛を和らげ、命を延ばす面がある一方で、苦しい生を増やす作用もあるのだということを直視し、後者を解決させるための方法として安楽死や嘱託殺人は考えていかなければならない。