「死ぬ」ということ

 2月来、身近な人が立て続けに何人か亡くなった。3月11日は、堀亨さん。享年わずか63歳(私より4歳上か?)。「病気療養中」だったらしい。
 宮城県の支援学校の教員を長く務めてきた。私は、教職員組合の教育研究集会を企画・運営する場での付き合いだった。いつも穏やかな笑みを浮かべながら語り、お酒を飲んだ。教育に対する情熱並々ならぬものがあった。
 2年前に退職を迎えた時、再任用(嘱託)を選択せず、完全に引退すると聞いて驚いた。あんなに学校が好きで好きでたまらないような人がなぜ?と思った。本人は少なくとも私に対しては何も語らなかったが、今にして思えば、その頃既に不治の病が発見されていたのではなかっただろうか?私はそんな事情を知らなかったので、12日に友人からのメールで訃報に接した時、ひどく驚いた。本当に残念だ。
 80代、90代の方の訃報とは違った生々しさがある。ああ、自分にも死は近いのだ、という思いが強く湧き起こってくる。モーツァルトシューベルトのような極端な事例は横に置いておくとしても、ベートーベンやドビュッシーは56歳で死んだ。マーラーは51歳までしか生きられなかった。今の私よりも若くして死んだ歴史上の人物は多い。そんなことに思いを巡らせると、なおのこと死は近い。
 私は死ぬのが怖い。ただし、この怖さは、生物学的な死についてとは少し違う。約60年にわたって多くの人の世話になり、自分でも努力をして多くの体験と知識とを蓄えてきた。死によってそれが一瞬のうちにゼロになる。そして、死の後には、新たに様々な蓄積を積み重ねていくこともできない。私が恐れるのはそれらのことであって、「怖い」と言うよりも、むしろ「もったいない」という言葉が私の気持ちに近い。
 日曜日の夜、毎週私は「ダーウィンが来た」という動物番組を見る。昨日は奄美大島オオウナギだった。小さなエビやカニ、魚が後から後からパクパク食べられてしまう。彼らの生涯はそれで終わり。オオウナギの命をほんの少し支えることが、彼らの命の役割だ。数万個、数十万個の卵から生き延びて大人になることができた、わずか数匹の超エリートの存在価値がその程度だ。もっとも、自然界において命の役割は命を繋ぐことだから、自分の子孫を残すことができればそれで命の役割は果たされるわけで、その後の、もしくはそれに次ぐ命への貢献がオオウナギの命を支えることだったとしても、決して文句は言えない。そんな風に頭で分かっていながら、では自分がヒグマやライオンに食べられても文句がないかと問われれば、なかなか潔く首を縦には振れない。
 高村光太郎「人に」(『智恵子抄』所収)に、つぎのようなフレーズがある。

浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える
八月の自然の豊富さを
あの山の奥に花さき朽ちる草草や
声を発する日の光や
無限に動く雲のむれや
ありあまる雷霆や
雨や水や
緑や赤や青や黄や
世界にふき出る勢力を
無駄づかいとどうして言えよう

 確かにそうなのだ。読むたびに納得する。世の中に永遠不変のものなんかない。自然は膨大な無駄のかたまりである。しかし、それら全てがあって他の全てが存在できる。無駄と言えば無駄、無駄でないと言えば無駄でない。
 ただ、全体を構成する一つ一つの部分はあまりにも小さい。おそらく、死はそんな自分の存在の小ささをも意識させる。自分が死んでも、世の中は何ら変わらない。当たり前のことなのだけれど、そのことがまた自分を苦しめる。この感情もまた、「怖い」の一部だ。
 そんなことをつらつらと考えながら、堀さんの死に思いを致す。堀さんは何を思いながら死んでいったのだろう?直接、堀さんにそんなことを聞いてみたくなってきた。教育現場から完全に離れたことで、その後会う機会さえなかったが、あの穏やかな笑顔でお酒を飲みながら、けっこう気軽に話してくれるような気がする。合掌。