大町陽一郎氏と原田泰治氏の訃報

 昨日の朝日新聞で、指揮者・大町陽一郎氏の訃報を見付けた。かなり大きなものだ。風の便りというのだろうか?不思議なことに、1~2週間ほど前、突然、私の心の中に「そういえば大町陽一郎さんって死んだんだっけか?」という疑問が浮かんだ。何のきっかけがあったわけでもないのに、である。訃報によれば、亡くなったのは先月18日のことなので、私が氏のことを思い浮かべた時期とほぼ同じである。ただし、私は親交どころか、直接言葉を交わしたことさえないので、氏が私に別れの挨拶に来たなどということはあり得ない。まったくただの、それでいてよくできた偶然。
 演奏会には3回足を運んだことがある。すべて1980年代半ばの話で、うち2回は東北大学交響楽団だ。アマチュアの指導にも熱心に取り組んだということなのだろう。芸大の教授でもあった。残念ながら、その音楽の印象を思い出すことはできない。
 私が、「あの大町陽一郎だ」と思ってチケットを買ったのは、高校時代に、彼の『クラシック音楽のすすめ』(講談社現代新書)という本を繰り返し読み、その名前が心に刻み込まれていたからである。訃報を前に、久しぶりで書架からすっかりくたびれたこの本を取り出し、斜め読みをしてみた。
 改めていい本だと思った。楽曲紹介はごくわずかで、自分とクラシック音楽との関わりや音楽の歴史、楽器の特長、簡単な楽理や構造、演奏会のマナーなど、音楽の背景とも言うべきものが適度に取捨選択されて網羅的に語られている。なまじ聴いたことのない楽曲についてあれこれと説明されるよりも、音楽に対する憧れをかき立てられる。我が家にある本は昭和53年3月の第21刷で、初版は昭和40年だから、ほとんどロングセラーと言ってもよい。さすがに今は古書でしか入手できないようだが、2004年(平成15年)に出た『クラシック音楽を楽しもう!』(角川新書=ONEテーマ21)は、その改訂版と言っていいもののようなので、それを考えると『すすめ』がいかに優れた、人々から受け入れられる本であったかがよく分かる。
 名前を聞かなくなってから久しい。指揮活動はいつまでしていたのだろう?。90歳、老衰による死だったという。

 

 今日の新聞各紙では、画家・原田泰治の訃報を見付けた。この方とその父親についてはかつて一文を書いたことがある(→こちら)。私は彼の絵が大好きだ。ただし、大町氏と同様、最近はその動静を耳にすることがなかった。一度、長野県諏訪市にある原田泰治美術館を訪ねてみたいと思いつつ実現していない。
 私が彼の絵を見るのは、もっぱら『別冊太陽 原田泰治 野の道を歩く画家』によってである。我が家には、他に何冊かの絵本がある。その中に、氏が絵を描いた『想い出の唱歌 みずばしょうの詩』(講談社)という本がある。
 ある時、古書店で見付けたのだが、何気なく手に取り、表紙を開いて驚いた。見返しの裏面(25㎝×25㎝)いっぱいに、太い墨の線で「風」という文字がでかでかと書かれ、その真下に「泰治」と横書きの署名があり、左に3㎝四方の立派な落款(白文印)が押してある。右肩にも縦長の丸い落款(関防印)。ため書きはない。まったく見事な芸術作品だ。古書店主が気付いていないということはないだろうが、値段は安かった。具体的には憶えていないが、泰治の書があることによるプレミアは付いていない値段だったと思う。私は店主や周りの客に気付かれるのを恐れるような気持ちで、こそこそと購入した。
 今でも時々、この書を見るために本を書架から取り出す。何度見ても飽きない。原田泰治の書は他に見たことがないし、それを評価する声も聞いたことはないが、画家というのは揮毫においても見事な造形力を発揮するものだと、心から感服する。私の宝物である。果たしてこのままにしておくのがよいのか、ページを切り取って額装でもするのがよいのか悩んでいるところ。
 音楽家は死んでしまえば演奏できないし、録音はしょせん録音に過ぎないが、画家は絵がそのまま命を持ち続ける。原田泰治が描いた昭和30年頃の日本の風景を、懐かしいものとして見られる世代は、あと20~30年くらいでこの世からいなくなる。彼の絵の価値が本当に問われてくるのはそれからだ。果たして、彼の作品は「古典」として生き残るだろうか?  合掌