二宮金次郎の本(続々)



 年末に、読者の方から分厚い封書をいただいた。開けてみると、お手紙とともに、主に二宮金治郎像に関するいろいろな資料が入っていた。私が昨年二度にわたって書いた二宮金治郎像に関する記事(→1回目2回目)を、かつて東京都公文書館に勤務していた「知人」(お名前不詳)に紹介したところ、その方の知見を書いたお手紙やら資料やらが届いたので、私に送って下さった、ということである。手っ取り早いので、「知人」氏のお手紙を一部引用させていただく。(表現一部改め)

「小学校時代の個人的な体験に照らしてもわかりますが、その年頃の子供にとって、金治郎が手に持って読んでいる本に何が書いてあるかは、興味津々、そこで、お調子者のいたずら坊主が代表して、台座をよじ登って本をのぞくことなぞ、全国津々浦々の小学校で当たり前の「事件」であったように思われます。

 その結果、金治郎は何も書いていない「白紙」の本を読んでいるなんて分かると、教育上、都合の悪いことが多々あったのではないでしょうか。子供はこういう点はとてもケッペキです。

 それと、このブログの主(=平居)が見落としているのは、金治郎の銅像の一大生産地が、富山県高岡であるということで、ここは地場産業として昔から銅器の製造が盛んな土地で、第一次世界大戦後の長期不況を抜け出す方策として、金治郎の銅像の製作販売を始めたのだと、誰やら(=?)のブログに書いてありました。

 高岡の金治郎像の特色は、伝統的にタガネで本に『大学』の字句を彫り込むことであったらしいことは、昭和30年代の文藝春秋で金治郎の銅像を取り上げたグラビア記事に書いてあるらしいことからも確認できます。

 教師好みの付加価値を付けて、学校への売り込みを有利に進める営業上の配慮だったのかも知れません。コンクリート製には文字がないというのは、高岡製でないからと考えれば腑に落ちますね。」

 なるほど、そういうことだったのか。もちろん、これを読んでも、なぜ『大学』第九章が選ばれたのかという事情は分からないが、少なくとも、なぜ像の本に文字を彫ったかということについては、ある程度納得できる。だが、私のいい加減な記憶には二宮金治郎の「銅像」が存在しない。全てが石かコンクリートである(最初に二宮像に触れた時に問題とした杉山隆敏氏のHP「二宮金次郎像」には、「現存する金次郎像として圧倒的に多いその材質は、石(主に花崗岩)」とある。私は安価なコンクリート製が多いのではないかと思っていたが、そうではないらしいい)。

 実は、この点についても、「知人」氏は知見をお持ちで、某所に書いておられ、そのコピーも同封されていた。それによれば、戦前はどこの小学校にもあった銅像が、太平洋戦争中の金属供出によって撤去されたのだという。これも「なるほど!」だ。おそらく、私が銅像を見た記憶がないというのは、決して間違いではないのだろう。

 銅像なら、本に文字が刻んであり、それが判読できるのは分かる。だが、旧金山小学校で見たとおり、石、特に花崗岩のような白っぽい石やコンクリートでは、あの画数の多い文字を彫り込むこと、ましてそれが数十年経っても判読できる状態にあることなど考えにくい。

 と、ここまで書いてきて、私は、意識して見たことのない湊小学校の二宮像を、コンクリート製と決めつけていることついてふと不安を感じた。確かめに行かなければと思いながら、年末年始の多忙に紛れて時間ばかりが過ぎた。そして今日、ようやく湊小学校にに行くことが出来たのである。

 驚いたことに、それは端正な銅像であった。震災で壊れた跡も丁寧に修復され、どこが壊れたのかも分からないほどになっている。台座の正面に「報恩」、後ろに「寄附者 平塚杢之助  世話人 玉木萬 平塚謙」と刻まれているだけで、肝心の像の製作地や時期については何も書かれていない。そして、問題の本には、極めて鮮明に、このシリーズの最初に書いたとおりの文字が刻まれ(確かにタガネで彫ったようだ)、ご丁寧に表紙には『大学』という書名まで書かれていた(こちらはタガネではなく、鋳造の段階で入れられている。以上、わざわざ学校の許可を得て、よじ登って見た)。

 私は帰宅後、出発点となった昨年3月15日の石巻かほく「つつじ野」を見てみた。なんとその記事には「銅像」と書いてある。なるほど、私が見落としていた、もしくは軽く考えていたのは、「高岡製の」銅像というよりも、それが「銅像」であること自体であった。本の文字の話は、もともと銅像にしか通用しないのである。

 上にも書いたとおり、湊小学校の二宮像には製作地が書いていないが、高岡製である可能性が高い。像の状態からして、戦時中に運良く供出を免れたというよりは、戦後設置されたと思われる。その像が造られた時、高岡に二宮像を作るいくつの銅像会社があったのかは知らない。だが、『大学』第九章の一節を選んだのは、どうやらその辺に関係ある人のようだ。湊小学校の銅像がいつどこで作られたものなのか、帰宅してから、「聞いてくればよかった」と後悔した。もちろん、明日以降でも尋ねるのは容易だが、楽しみは取っておくことにして、とりあえず今日はここまで。