受難の時代・・・広島の「指導死」について

 もう3年半以上も前、「いじめは増え続けるさ」という一文を書いた(→こちら)。「いじめ」は弱くて怠惰な人間が、手っ取り早く優越感を手に入れる(=劣等感から抜け出す)ために行うもの、ただし、そんな人間がなぜたくさん生まれるかと言えば、商業主義によって生み出された安易で怠惰で打算的な生活があるからで、それはいじめられる側の人間にとっても同じこと、「いじめ」はいじめられている側が「いじめ」と認識するかどうかで決まる、などと言った日には、「いじめ」と認識されるラインもどんどん下がる、だとすれば、いじめは増え続けるのが当たり前、というような内容だ。
 広島県で中学3年生が進路指導上の問題から自殺した。その中学校では、中学入学後に非行歴があると高校に推薦しないという内規がある、担任はその生徒が1年時に万引き歴があると誤認した、生徒に廊下でその旨確認したところ、認めるような返事をした、それに先立つ職員会議では誤りが指摘されたが、コンピュータ内のデータを訂正するのを怠った、といったような経緯が、どの新聞にも載っていた。学校がその生徒の死後に作った調査報告書の内容に基づく記事らしい。
 私は、自分が教員であるが故に学校の肩を持つということは決してしたくないのだが、「え?それで死ぬの???」という思いをどうしても押し止めることが出来ない。日頃、命の大切さを教育しているつもりの人間にとって、「推薦入試に出願できない」と「一つだけしかない命」は、重さにおいてあまりにも激しくバランスを欠く。
 学校や教育委員会は、指導の経緯における問題点として、非行歴の確認が廊下での立ち話で行われた、進路指導については各担任の裁量に任せ、マニュアルなどを作っていなかった、といった点を重大視しているようだ。私はこれらの点については、まったく問題を感じない。
 学校では、時間を取ることも場所を確保することもなかなか大変だ。しかし、必要な場合は生徒をそっと別室に呼ぶ。それは、現在の意思や生活状況についてじっくりと話を聞き出す必要がある場合や、会話をしながら気付かせていかなければならない大切なテーマがある場合などだ。問題の件は、過去の事実の有無を確認するという至って単純な作業である。また、担任の裁量を疑ってマニュアルを作れば、教員はマニュアルがなければ動けなくなってゆき、ことは悪循環を起こす。いや、そもそも、人間関係そのものである「教育」を、マニュアル化出来るわけがない。新聞=学校側の調査で見る限り(「死人に口なし」なので、それを信用していいかどうかは不知)、生徒は、万引き歴を認めたと担任が誤認しても仕方のない返事の仕方をしている。私だったら、「おまえ1年の時万引きして特別指導受けたことあるよな。それあると推薦できないっていう内規あるから、推薦はできねんだっちゃ。べつにそれで志望校に行けないってわけでねぇから、あと一般入試でがんばって入れや・・・」はい、おしまい、という対応をしただろう。後で間違いに気が付けば、頭を下げる(昔、少し似た事例で、自宅=本人+両親まで謝りに行ったことが一度ある)。今回の学校の「不手際」で生徒が自殺するなら、私は今までの26年間の教員生活で、10人以上の生徒を失っていても何ら不思議ではない。恐ろしいことである。
 誤解されないように確認しておくが、私は学校に落ち度がなかった、と言うつもりはない。だが、人間が自死するというのは、本来よほどのことだ。その「よほどのこと」を引き起こすほどの問題があったようには見えないのである。もちろん、人間と人間との間で起こっていることだから、その先生・生徒の人間性とか、日頃の信頼関係とか、外からでは窺い知れない要素があるのは確かだ。だが、少なくとも(←少なくとも、ですよ)、過去の非行歴を人前にさらして、その生徒の人格そのものを否定するような侮辱を執拗に加えたとか、「調査書にそのことはしっかり記載して、一般入試でもお前なんか絶対合格しないようにしてやるからな」と脅す、といったパワハラに及んだ、しかもそれらが長期間継続されたというくらいでなければ、普通「よほどのこと」は出来ない。仕返しや回避の方法に頭を巡らす、というのがいいところだろう。
 いじめられている側が「いじめ」と認識すれば、どんなレベルのことでも「いじめ」だという基準からすれば、学校の指導についても同じことになるのだろう。だが、今回の事件などを見ていると、人間に何かとてつもない変質が起こっているのではないか?その状況下で本当にその基準だけでいいのか?もっと外形的・客観的な基準を作らないとまずいのではないか?と問い直す必要を感じてしまう。
 私は最近よく、社会問題の根源として「人間が文明によって自然から離れてしまった」ことを言う。自分の命を絶つことは、まったく自然に反する。結局、今回の問題でも、私の問題意識はそこに行き着いてしまうようだ。
 

(補)過去の「非行歴」(=こんな言葉、今でも使うのかな?私の感覚だと「特別指導歴」。或いはせいぜい「問題行動歴」)を入試の推薦基準に加えることの妥当性については、また別の議論が必要である。そのうちまた。