生きている証拠に・・・

 爽やかで気持ちのよい五月晴れの一日だった。こういう日は、我が家から見える太平洋が最高に美しい。居間でぼやっと真っ青な海を見ながらコーヒーを飲むのが、この世で一番ぜいたくな時間の使い方だと思われてくる。駐車場脇の松の木に絡む藤の花も満開だ。
 忙しいと言えば忙しい。暇を作ろうと思えば、難しいというほどでもない。しかし、一度書かなくなると、書くこと自体がひどく億劫になるものである。時々書いて、生きていることだけ伝えよう。書く回数を意図的に減らしたのだから、数少ない機会には明るい話題がいいな、とは思うが、なかなかそうもいかない。
 1週間ほど前、街の中で、南浜町の協議会(→こちら)に一緒に参加していたBさんにばったり会った。「平居さん、役所もずいぶんメンバー変わったねぇ。今年の春、ごっそり入れ換えになって、残ってるの課長くらいかもよ・・・」。へぇ、私は市役所の人事など気にしていたことがないので、石巻地区限定の超ローカル新聞に顔写真入りで載る偉い人の異動記事にざっと目を通すくらいで、それ以外については、誰がどこに配属され、どのように動いているかなど気にしたこともない(「偉い人」の記事も、記憶にはほとんど残らない)。なぜBさんがそのことを知っているのかは聞かなかったが、すごい情報通だなぁ、と感心してしまった。
 もちろん、感心はBさんに対してである。役所については、なるほど、あの大公園が数十年後にどれほど大きな負担になるか、なんて真面目に考えるわけないな、と思っただけである。もしかすると、行政の思い通りのプランを、市民の意見を集めたふりをしながらそのまま確定させたことについての論功行賞があり、名実ともに「ご栄転」となったということもあるかも知れない、と書けば、あまりにも悪意的だろうか?行政官ばかりを悪く言うつもりはない。学校も含めて、どこでも誰でも自分の目前の利益を中心に動くということはあるだろうから・・・。
 話は変わる。
 1週間ほど前の5月10日、東京で、中学2年の女子生徒2人が、電車に飛び込み自殺をした。人間関係の悩みが書かれた遺書のようなものはあったらしいが、さほどはっきりした理由ではないようだった。その後、報道を見ないことからすると、少なくとも学校のような公的な場での出来事とは関係のない自殺だったようだ。
 更に1ヶ月ほど前、私の知人が勤務する高校(←宮城県とは限らないからね)で生徒が自殺するという事件があった。理由が一切分からないそうである。友人も家族も、バイト先の人たちも、死の直前まで不自然なものを何も感じていなかったそうだ。もちろん遺書もない。
 3月に広島で、「非行歴」の誤認によって高校の推薦入試を受けられなかった中学3年生が自殺した時、私は「「え?それで死ぬの???」という思いをどうしても押し止めることが出来ない」「人間が自死するというのは、本来よほどのことだ。その「よほどのこと」を引き起こすほどの問題があったようには見えない」などとと書いた(→こちら)。批判的なコメントが1件寄せられた。死んでしまった人について悪く言ったり、疑問を呈したりすることが、それだけで批判の対象となることは分かるし、自分でも覚悟しながら書いていたので、ああやっぱり、と思っただけである。今のところ1件で済んでいるのが、むしろ不思議なくらいだ。
 3月に行った某研修会で、小中高校生の自殺が年間200人という話を耳にした。絶対数として「多い」という印象を受ける。だが、それが、例えば私が高校生であった40年近く前と比べて多いか少ないかは知らない。数だけの問題ではない。理由についてもだ。単に報道が大げさになっただけで、実は昔も状況は同じだったかも知れない。いや、今の方がマシだということもあり得る。人間には本当にいろいろな人がいるので、例外的に、特別な事情もなく(気付かれない鬱病?)死を選ぶ人がいてもおかしくないとは思う。
 だが、この数ヶ月の間で、3件の若者の自殺の話に接して、やっぱり変だという気持ちが兆してくるのを止めることができない。職場で1週間前の事件が話題になった時、某同僚は、「ゲームのせいだな。すぐにリセット、そんな感覚だ」と言っていたが、私はそこまで単純なことにも思えない。やはり、人間に何かとてつもない変質が起こっているに違いない、と畏れ、根源の部分ではなく枝葉の部分で「対策」を施そうとして、ますます面倒な世の中が生まれることを想像しては、気が重くなるばかりである。
 広島の件のように、おそらく本当の理由は別の所にあるのに、わずかばかりの学校の落ち度が見つかることで、それが自殺の原因の全てであるかのように扱われ、社会問題化すること、そこに自分が巻き添えを食うのは嫌だな、そんな身勝手にも似た気持ちも生じてくる。批判したい人はすればいい。だが、最近の自殺の事例を見て、他人の自殺の原因になるようなことを自分がすることはない、と100%の自信を持って言える人はいるのだろうか?