JR鶴見線・・・「浅野帝国」を行く

 年度末の1日、神奈川に行った。先日予告してあったとおり、日本海洋事業(株)で「しんかい6500」を見せてもらえることになったからである。前日に神奈川入りし、当日の午前中はフリーだった。何をしようか考えて、例のごとく未乗区間である「JR鶴見線」に乗る、曹洞宗大本山総持寺に行く、の二つを考え、鶴見に泊まることにした。
 JR鶴見線とは、鶴見〜扇町という臨海工業地帯を走る電車であるが、浅野〜海芝浦、安善〜大川という短い2本の行き止まり枝線(支線)を持っている変則的な路線である。本線も先端が曲がっているので、羽が三枚付いた三十二分音符の格好に似ている。しかも、浜川崎で南武線が接続しているのだが、貨物線は線路が「接続」というか「連続」しているのに、旅客用のレールは「接続」しておらず、道路を隔てて二つの浜川崎駅があるという二重の変則形である。
 最初は単に、乗ったことのない路線だから行ってみるか、というだけの動機だったのだが、事前にいろいろと予習をしてみると、歴史的になかなか面白い場所だということが分かってきた。
 そのことは、まず駅名に表れている。原点は「浅野」駅だ。これは、明治から昭和にかけての実業家・浅野総一郎の姓によっている。浅野は富山県出身で、商人となることを志して上京すると、いくつかの小さな商売で成功した後、コークスやコールタールをセメント製造の燃料として用いる方法を開発して巨万の利益を得た。浅野の仕事ぶりを評価した渋沢栄一の支援もあって、浅野の事業は更に急成長を遂げる。その後、欧米視察の際に見た港湾開発の様子に強い影響を受け、鶴見から川崎一帯に、日本で初めてとなる臨海工業地帯の造成に着手した。その時、パトロンとして浅野の事業に出資したのが、同じ富山出身の金融業者・安田善次郎で、その名を冠したのが「安善」駅だ。終点の「扇町」駅は、浅野家の家紋が扇であったことにちなむ。浅野が実業家として大成するため不可欠の存在だったはずの渋沢栄一にちなむ駅名は、なぜか存在しない。少々不公平で、気の毒だ。
 当然のこと、沿線には大きな工場がたくさんある。東芝旭硝子昭和電工三菱化工機昭和シェル石油、日本鋳造、日清製粉などなど・・・。その中で、最も大きな面積を占めているのは、JFEだ。JFEは元の日本鋼管で、その前身は浅野が作った浅野造船所である。つまり、鶴見線沿線一帯というのは、「浅野帝国」なのである。
 電車は、鶴見駅の2階、鶴見線ホームから出る。どうしてこんなことをわざわざ書くかというと、鶴見線ホームと京浜東北線ホーム(1階)の間には、なぜか新幹線のように改札内改札があって、特別な雰囲気を漂わせているからだ。新幹線なら、新幹線特急券を持っているかどうかの確認のため、という理由があっての改札内改札だと理解できるが、鶴見線は本当に不思議である。普通乗車券を自動改札機に入れると、その切符がそのまま出てくるだけだ。後から、駅員さんに聞けばよかった、と後悔した。(=下に「注」)
 私が乗ったのは、7:55発海芝浦行きだ。海芝浦は、西側の支線の終点で、駅の前に東芝の大きな工場がある。通勤時間帯ということで、それなりに混雑している。浅野駅で鶴見線の本線から分かれた電車は、名も無き細い運河に沿って南下し、西向きに90度進路を変えると京浜運河にせり出すホームを持つ海芝浦駅に着く。鶴見駅から11分、浅野駅からは4分だ。天気がよかったこともあって、キラキラと輝くすばらしい京浜運河の風景が見えた。運河を隔てた南には国道357号線(湾岸道路)の鶴見つばさ橋が見える。
 4分後に折り返す電車で引き返し、浅野で大川行きに乗り換える。大川は東側の支線の終点だ。実は、この電車に乗るために、鶴見駅発7:55に決めたのだ。というのも、浅野発8:32大川行きというのは、なんと午前の最終便なのである。工場の勤務時間に合わせてダイヤが組んであるので、次は17:00まで電車がない。それでも、この日は平日なので、朝に4本、夕方に5本の電車があるからまだいい。土日は、朝に2本、夕方に1本だけのダイヤだ。大川駅の前にあるのは、三菱化工機昭和電工日清製粉だ。これらの会社って、残業なし、交代勤務なしなのかな?そもそも、何かの事情で遅刻したり早退したりする時にはどうするのかな?と心配になるが、大丈夫。駅には「武蔵白石駅までのご案内」という張り紙がしてあり、鶴見線本線の武蔵白石駅までの地図が書いてある。ご丁寧に、「武蔵白石駅までは徒歩で約15分です」と添え書きしてあって、わざわざ赤のアンダーラインまで引いてある。まるで、この支線なんて無くても問題ありませんよ、と自虐的に訴えているかのようだ。
 海芝浦への支線は、浅野駅のすぐ手前で分岐し、本線とは斜めに、三角形のようなホームがある。大川への支線は、まったく同様に、武蔵白石駅のすぐ手前で分岐するが、武蔵白石駅に大川支線用のホームはなく、駅をかすめるように通過するので、一つ手前の安善でしか乗り換えできない。この違いは非常に不思議だ。
 大川駅から「午前の最終鶴見行き」で引き返すと、安善で乗り換えて本線終点の扇町へ行き、これまた折り返し電車で浜川崎に戻り、道路向かいの南武線支線浜川崎駅発の電車に乗り換え、尻手で南武線本線に乗り換え、川崎で京浜東北線に乗り換え、鶴見に戻ったのは9:45であった。
 どの駅も無人で、しかも、自動改札機もない駅が多い。ICカードをチェックするための機械が立っているだけだ。定期券で毎日乗り降りしている人ばかりで、それ以外のお客なんて皆無に近いから、これで問題ないのだろう。鶴見駅が二重改札であることとのアンバランスは面白い。一番不思議だったのは、海芝浦駅で、ここは鶴見線内では珍しく紙切符の使える自動改札機があるのだが、なぜか、自動券売機は改札口の中にある。自動改札機を通らず、自由通路のようなところを通って一度駅の中に入り、切符を買って再び自由通路を取って外に出、自動改札機を通って駅の中に入るのが正しい乗車方法なのだろうが、多分、誰もそんな面倒なことはしない。私も、自由通路を通って中に入り、切符を買うと、そのまま改札機は通さずに電車に乗ってしまった。
 沿線は、地図を見ながら予想していたとおりの工場地帯であった。中は知らず、外見からすると、随分古びた昔ながらの工場、といった感じの建物が多く、鶴見線が一世代前の203系電車を使っていることもあって、なんとなく昭和の雰囲気に浸れたような気分になった。


(注)Wikipedia鶴見駅」によれば、この改札は鶴見線が鶴見臨港鉄道という私鉄であった時代の名残であり、鶴見線の改札業務を集約し、全駅を無人化する上で役立っているということだが、鶴見以外の駅間で乗降する客に対応できないのはもちろんのこと、そもそも鶴見線内の全駅が同一料金でない以上、改札の集約化は無理である。鶴見臨港鉄道が国有化されて鶴見線になったのも、戦中(1943年)の話である。その「名残り」として自動改札機が据え付けられている、ということがあるはずもない。