料理と酒

 土曜日の夜は、ラボのパーティー(→解説)に行った。鎌田克慈さんという輪島在住の漆器作家の個展を記念したパーティーである。もちろん、鎌田さんもご出席。
 今回は、ラボの方々の手料理ではなく、美里町にある「禾食や(かじきや)」というお店の出前(出張料理)であった。2回目である。「禾食や」さんが3階に住む店主のキッチンで最終調理をし、1階のパーティー会場に出前をする、という仕組みだ。
 「禾食や」というお店は、40代のご夫婦が経営している。レストランとか食堂、というのは少し違う。普段は農業をしていて、週末だけテイクアウトの店を出す。野菜は基本的にすべて自家製だ。田んぼだけでも50枚(5町歩)持っていて、農業以外のことをするのはたいへん厳しいのだが、自分が作った農作物をお客さんに料理として食べてもらうことで、モチベーションを作り出しているということがあるので、時間のやりくりは難しいけれど止められない、とのことであった。
 すてきな生活だな、と思う。ある意味で、私にとって理想の生活だ。生き物である人間にとってすべての基本は「農」である。自力で食糧を作ることが出来てこそ、余裕の価値を正しく把握することも可能となる。石油を燃やすことで、あるいは虚構の社会システムの中で、食えることは当たり前、その前提で何かの「夢」を追いかけるなどというのは、浮ついた偽りの生活でしかない。もちろん、彼らだって、動力のお世話になるからこそ5町歩もの田んぼを維持管理できるのだけれど、それでも、私やその他の第3次産業従事者に比べたら、はるかに堅実な生活である。
 お料理は美味しかった。サラダから始まって、菜の花のゆでたのを載せたマッシュポテト、キーマカレー入りのライスコロッケ、更にはキッシュやペンネといったイタリア系のお料理・・・。特にボロネーゼ風の(?)ペンネは絶品。赤ワインが進む進む。
 いつも思うのだが、料理とお酒(醸造酒ですね)の関係は深い。和食には日本酒、西洋料理にはワイン、中華には紹興酒・・・、と言うと、最後のところでよく怪訝な顔をされる。和食に日本酒、西洋料理にワインまではいいが、紹興酒はちょっと・・・となるのだ。だが、中華では料理にも紹興酒を使うのだから、紹興酒をそれほど嫌うのは変な話だ。
 話はそれるが、日本人の(?)紹興酒に対する冷淡さは、いったい何なのだろう?スーパーにはせいぜい1種類しか置いていない。日本酒やワイン、焼酎、ビールが数十種類の単位で置いてあるのに、紹興酒は置いていない店さえあるのである。私の場合、車で10分あまりのところにある「やまや」という酒類量販店までわざわざ行って、3年物から8年物まで数種類の紹興酒を手に入れる。ついでに書いておくと、黒い中国酢も、水餃子(=本物の餃子)を食べるにも甘酢あんを作るのにも絶対これがよく合うのに、他のところでは手に入らない。これらを知らない人は気の毒だ。よく言われることだと思うが、確かに、お酒だけではなく、その土地の料理にはすべてその土地の食材を使うのが一番しっくりくるのだ。
 だが、ふと考えてみると、私が「いやぁ、このペンネは本当にワインによく合う!」と喜んでいた時、手にしているグラスに入っていたのはポルトガルワインであった。日本人が作ったイタリア料理にポルトガルワイン。さて、これがその土地の料理にその国の酒、となるのかどうか・・・? ふふふ。