博士号取得記(4)

 博士号と言えば、学生時代に聞いた西田先生の熱弁が忘れられない。
 西田先生とは、私が学生時代に学部長をしておられた美学の西田秀穂教授である。私は先生の美学の授業を取っていた。授業を受けることについて極めて不真面目だった私が、終始出ていた授業というのは多くない。その数少ない授業の一つに西田先生の授業があったのだから、それなりに面白かったのだろう。ただし、授業の内容についてはよく憶えていない。それがある日、どのようなきっかけだったかは記憶にないが、先生が日本の大学の学位授与のシステムについて、蕩々と持論を述べ始めたのである。およそ以下のような話だったと記憶する。(記憶しているのはおよその内容だけなので、西田先生が以下のような表現をしたとはくれぐれも誤解しないで欲しい。)

「理系の学部は、大学院博士課程修了と同時に、基本的に博士号を出す。博士号とは、自分の力で研究を続けていくことが出来るようになりました、という確認なのだから、博士課程まで研究を続ければ、博士号を与えるのは当然である。ところが、文系学部はそうなっていない。この東北大学文学部でも博士号を持っている教員は多くない。それは学問の完成を意味する大家の称号となっている。このことが一番問題となるのは留学生だ。どこの国でも、博士課程を出れば学位は与えられるので、博士課程を出たにもかかわらず、学位を手にすることなく帰国すれば、その学生は日本で何も勉強してこなかった、という評価を受けてしまうのだ。博士号を自力で研究を継続する力の証明と考えれば、文系であっても博士課程修了者には学位を与えるべきだし、たとえそれがすぐには実現しなくても、二重の評価基準を作って、留学生にだけは学位を与えられるようにしなければ、留学先として日本が選ばれなくなり、それは日本の大学が活力を失うことにもなってしまう。大きなマイナスだ。」

 確かに、当時「博士号」というのは特殊な称号だった。明治の時代に、立身出世主義をあおり立てるフレーズとして、「末は博士か大臣か」という言い方があったのは有名である。その名残を留めていた、と言えば少し大袈裟だが、当たらずとも遠からずである。とは言え、西田先生の熱弁を、ふ〜ん、そうなんだ、と思いながら聞いていた記憶はあるものの、将来、日本も西田先生が言うような基準で学位が与えられるようになればいい、などと考えることもなく、自分が博士号を取得できるようになればいいな、と思うこともなかった。博士号は、それほどに遠く非現実的な世界だった。
 私がいかにそんなことをまじめに考えていなかったかという面白い話がある。
 時間は一気に飛んでわずかに数年前、私が書いた論文の合評会をしてくれるということで、大学に行った。会が終わった後、上品な某女性教授から、「平居さんはこのテーマでハクロンをお書きになるんですよね」と声をかけられた。この時の私の返事は、「ハクロンって何ですか?」というものである。先生は、「博士論文のことです」と言って、クスッと笑った。
 この時、「ハクロン」の意味が分からなかったことに赤面する一方で、おそらく初めて、博士号というものが自分とは無縁の世界のものではないらしい、ということに気付かされたのである。もちろん、それは、自分が碩学泰斗になりつつあったということではなくて、文学部でも学位授与の基準が変わってきた、ということである。今回、博士論文を出そうと思った背景として、女性教授のその一言は重かった。それがなければ、私は今でも、学位の取得を我がこととして考えてはいなかっただろう。
 当時、私が勤務していた高校には、東北大学文学部の博士課程に在籍する青年が講師として来ていた。私は彼に会うと、「いま、大学では課程博士って出すの?」と尋ねてみた。彼は、「出しますよ」と答えた。ははぁ、やっぱりそうなんだ。この30年の間に、文学部における博士号のハードルが大きく下がったことを感じた。博士課程修了者に博士号を出すということは、論文提出による博士号の審査基準も下がったに違いない。
 いくら基準が下がったとは言っても、博士論文をまとめるのは骨の折れる作業だ。私が同じ中国学の範囲で再び専門替えをして、その新しい分野で博士論文を書けるレベルにまでしろと言われても、絶対に無理である。それほど途方もない時間と金銭とを費やしている。もちろん、それは過去1年だけの問題ではない。それでもやはり、私が博士号を取得したことについては、基準の緩和が大切な要素だった。どう考えても、私が学生時代の「博士」と私の現状との間には雲泥の差がある。
 この基準の緩和が、西田先生が言っていたような、博士号とは何かという点について、日本がグローバル・スタンダードを受け入れた結果なのかどうかは知らない。もしかすると、以前H大学で聞いたような(→こちら)、外形的に見える成果で学部や研究室の実績が評価され、研究費の配分が決まるといった大人の事情もあるのかも知れない。
 それはともかく、私に多少なりとも誉められた点があるとすれば、それは、大学を卒業した瞬間に学問を忘れてしまう人が圧倒的に多い中、細々と、ねちねちと、長くそれを続けてきたことくらいだろうか。もっとも、この博士号は、何かの資格として通用するということもなく、持っていることによる実利は多分一切ない。それを暫定的なハードルとして、たくさん勉強が出来たのだから、そのこと自体が実利であり、それで十分だ、ということである。(完)