学位記授与式

 今日は、大学で学位記授与式というものがあった。この年になって、なんだか気恥ずかしいような気もしたので、どうしようかな、とためらったが、2度とある機会でもないし、9月という日本では中途半端な時期に、どの程度の式が行われるのか見てみたいという好奇心が勝って、結局行ってきた。案内文書に、欠席の場合、学位記は「着払い」で送る、と書いてあったのもしゃくに障った(笑)。
 3月か4月から8月くらいまでの間に論文提出で博士号を取得した人だけが対象となるはずなので、さほど多くの人が集まるわけではないだろう、もしかすると、総長室か、その近くの会議室あたりで行うのではあるまいか?と予想していたのだが、8月末に届いた案内では川内・萩ホールと書かれていた。1200名強が入る立派なコンサートホールである。これはびっくりだ。いや、萩ホールそのものではなく、萩ホールを含む東北大学百周年記念館内にある会議室かレセプションルームのような所が会場で、知名度の関係から萩ホールと言っているだけなのではないか?と疑ったほどである。
 今日の仙台は暑かった。後から聞けば、最高気温は26度だったそうだが、まるで真夏のように感じた。一応、式だからということで、ネクタイをして、ジャケットを羽織り、しかも手には研究室への手土産である1升瓶2本と菓子折をぶら下げていたからかも知れない。国際センターから川内キャンパスへの上りでは、汗が噴き出てきて、なかなかにきつかった。
 萩ホールが視界に入ると、その前に多くの人が集まっている。どうやら、「萩ホール」はジョークではないらしい。出席連絡は必要とされたのに、名前を確認する受け付けがあるわけでもなく、会場は出入り自由。式次第等を書いた「しおり」のようなものだけ配られた。
 卒業生、修了生は中央通路から前に座るようにとだけ言われたが、私が開式15分前に着席した直後くらいに満席となった。その後やって来た卒業生・修了生は、一般席にはみ出しである。1ヶ月ほど前に、家族の出席があるかどうかの調査もあったが、なぜか出入り自由なので、一般席には家族だけでなく、卒業生・修了生の研究室仲間のような人も多かった。しかも、そのうち相当数が外国人で、特に中国語がよく聞こえた。イスラム教徒も多かった。2階と桟敷は閉鎖していたので、実際に使っていたのは1階席(約700)だけだったが、ほぼ満席になった。
 「しおり」を見れば、論文提出の博士だけではなく、学部卒業生から博士まで、いろいろな立場の人がいる。私はよく分かっていなかったのだが、今は、何かしらの事情で3月に卒業できなかった学部生が卒業の要件を満たした時には、9月に卒業させるらしい。修士課程や博士課程には相当数の10月入学・9月修了生がいる。しかも、中には短縮修了生というのもいるらしい。私には想像すら出来ないことだが、3年間の博士課程の最初の2年あまりで博士論文が書ければ、短縮修了が可能なのだ。
 というわけで、今日、当事者として式に参加する権利があった者は、学士が59名、修士と専門職(←意味不明)が足して190名、博士(課程修了)が128名、博士(論文提出)が12名、合計389名で、そのうち外国人が231名であった。また、このうち、10月入学者は250名、早期卒業・短縮修了が26名である。なるほど「萩ホール」なわけだ。
 13時開会の式は至って簡素。日の丸・君が代などという野暮なものはなく、起立、礼の類いもほとんどない。面白かったのは、卒業・修了生が着席した後、ステージに総長・役員・部局長と30名ほどの偉い人たちが登場するのだが、その時、卒業・修了生は起立して迎えなければならない。高校とまったく逆だ。ひどく権威主義的な感じもするし、一方で、教えを受けた側が教えた側の代表者に敬意を表するのは当然だ、という気もする。学位記授与は、呼名などなく、各学部研究科ごとの卒業・修了者数だけがアナウンスされる。学士、修士、博士それぞれで総代1名(計3名)が学位記を受け取る。
 萩ホールは残響豊かなコンサートホールである。そのため、マイクを通した人の声は非常に聞き取りにくい。総長告辞と総代(インドネシア人)答辞は、どちらも日本語と英語とで行われたが、私は日本語の告辞さえ何を言っていたのかよく分からなかった。
 混声合唱団による学生歌と校友歌の演奏の後、再び起立して総長他の退席を見送ると、式が終了となる。40分。
  医学部、経済学部、法学部といった一部の学部研究科では、会場の出口で学位記を受け取ることが出来るが、文学部を始め、多くの学部では独自に伝達式というのを行う。文学部は14:30から、文学部棟の会議室で行われた。出席者は4名(該当者は7名なので3名欠席)。学部卒が2名と論文博士が2名である。学部長から学位記が手渡される。
 この時、学部長は学部卒の学生には「おめでとう」と学位記を手渡したが、私を含む博士には「おめでとうございます。ご苦労様でした。」と声をかけた。私は少し感激した。学部卒の学生だって、何かしらのことをしたから卒業資格を与えられたはずなのに、そのことについての評価は語られない。一方で、論文博士の方には、積み重ねた学問的業績に対する評価と敬意とを、本心から示してくれたように感じたのだ。ちなみに、私以外のもう一人の博士は、見た所、私より10歳あまり上で、小耳に挟んだ話によれば、どこかの大学の神学の先生であるようだった。
 学部長が短いスピーチをすると伝達式は終わるが、その後には懇親会が設定されている。卒業・修了生とそれに関係する先生が参加する15名ほどの会である。立食形式ではあるが、相当にお金をかけたと思われる料理が並ぶ。しかし、学部長の音頭で乾杯が行われた後、出席者の紹介があるわけでも、誰かが何かの話をするわけでもない。20歳未満の人は絶対にいない場なのに、アルコールが出るわけでもない。しかも、時間は15時だ。まったく何の盛り上がりもないまま、料理に箸を付けることもなく、自分の知っている2〜3の先生と時間つぶしのようなお話をしただけ。45分ほどでお開きとなった。
 というわけで、5月11日付けの役にも立たない紙を1枚もらいに行っただけだが、日頃見ることのできないものを見る、ちょっとした異文化体験が出来た。少し疲れたけど、これはこれで面白かった。