時代を映す?・・・卒業生数の推移

 私は小学校3年生の時以来、「時刻表」というものを愛読している。それをあまりにも長い時間見ていたため、中学校に入る頃までに目がすっかりダメになっていた。自動車の免許更新で、視力検査ほど怖いものはない。
 時刻表といえば、小さな文字と数字ばかりが並んでいる。一見無味乾燥でありながら、いくら長い間見ていても、後から後から新しい発見がある。情報がある意味で単純であるだけに、そこに価値を見出していく作業は面白い。
 昨日、ぼやっと同窓会名簿を見ていて、それとほとんど同じ状態に陥ってしまった。最初は、恩師(旧職員)と同級生(33回生)のページだけざっと目を通せばいいや、と思っていたのに、少し寄り道をすると疑問が見つかり、それを解決させようと思ってページをめくると更に疑問と発見とがある、という具合であった。書き始めると切りがないので、2点だけ書いておく。
 まずは、各学年の卒業生の数だ。
 私が在学中は、1学級45人で1学年10学級であった。定員450名。宮城県で考えると非常に大きいが、兵庫では、旧制中学上がりの高校は、ほとんどこの規模だったと記憶する。私が一緒に卒業したのは、449名である。入学時は451名だったように思う(不確か)。何かの事情で卒業までに2人減った。男子が269名で女子が180名だ。比は6:4である。兵庫県には、普通科の共学校は、男女の比が6:4から4:6までの間でなければならないという規則があったので、男子の方が成績がよかったが6割に止めて、点数の低い女子を取った、と聞いたことがある。
 さて、見てみると、学年の人数というのは、信じられないほど大きく変動している。無理やり抜粋すると以下のようだ。

1回生(1949年卒) 105名(男98、女7)
2回生         244名(男244、女58)
3回生         453名(男252、女201)
4回生         442名(男201、女241)男女比逆転
5回生         354名(男150、女204)
6回生         412名(男160、女252)
7回生         475名(男187、女288)総数安定
17回生(1965年卒)472名(男231、女241)
18回生        632名(男321、女311)男女比逆転
19回生        651名(男358、女293)総数最多
20回生        590名(男320、女270)
21回生        506名(男302、女204)
22回生        476名(男269、女207)総数安定
36回生(1984年卒)451名(男261、女190)
37回生        405名(男218、女187)
38回生        512名(男284、女228)
43回生(1991年卒)563名(男315、女248)2回目のピーク
45回生        515名(男294、女221)
48回生        472名(男249、女223)40人学級化
51回生(1999年卒)397名(男188、女209)男女比逆転
52回生        353名(男158、女195)
54回生        390名(男189、女201)
57回生        357名(男179、女178)以下男女拮抗
59回生        314名(男150、女164)63回生除き総数安定
63回生(2011年卒)356名(男179、女177)
64回生        317名(男152、女165)
65回生        316名(男161、女155)
69回生(2017年卒)318名(男153、女165)

 かなり無理な抜粋である。省いたところは、その直前に書いた回生とよく似た数字だと思ってもらえばいい。ただし、それは「だいたい」なので、全てのデータを示せば、見えてくるものはもっともっと増える。
 一般の方でも想像がつくと思うが、学級数の増減は簡単ではない。教員定数が変わるからだ。学校の予算規模も変わり、特に部活動の維持が難しい。しかし、どう見ても、学級数そのものが激しく変動している。最初期はともかく、17回生のように、突然150名も増えるとか、増えるのはまだいいとしても、それがわずか3年で再び175名減るとか、まったく信じられない。その時代の高校生人口と重ねると更に面白いことになるとは思うが、生徒数の2回目のピークが私より10歳若い43回生だというのも驚きだ。そこから16年かけて150名減ったのは分かるとしても、52回生だけ1クラス少なかったようであるのも、63回生だけ突然1クラス多いというのも本当に不可解である。入試で定員割れなどもあったのかも知れない。私が所属していた33回生以前、1学級あたりの人数が何人だったのかは知らない。増減の幅を見ていると、1970年以前は、1クラスに50人や55人、いや、60人以上も詰め込まれたりしていたのではないか?
 背景を詳細に調べると面白いだろう。時代の全体が見えてくるといっても過言ではないのではないか?それが「日本の」なのか?「兵庫県の」なのか?「西播の」なのか?は分からないけど・・・。
 あれれ、2番目の点に触れられなかった。また明日。(続く)