入試で「常識」を問う

 センター試験の「地理B」の問題が話題になっている。第5問問4、例のムーミンとビッケに関する設問だ。絵はここに示せないけれど、確認しておくと、問題文そのものは次のように書かれている。

「次の図5中のタとチはノルウェーフィンランドを舞台にしたアニメーション、AとBはノルウェー語とフィンランド語のいずれかを示したものである。フィンランドに関するアニメーションと言語との正しい組み合わせを、下の①から④のうちからひとつ選べ。」

 さて、この問題をどのように考えるべきだろうか?ちなみに、これより前の部分にスカンジナビア諸国の地図が書かれていて、ノルウェーフィンランドスウェーデンの位置関係は、憶えていなくても分かる仕組みになっている。また、この問題の所に、スウェーデンのアニメ(ニルスのふしぎな旅)と言語がヒント(?)として例示されている。
 まず、言語については、例示されているスウェーデン語と「A」が近似していることから、地理的な位置関係に基づき「A」がノルウェー語だというのは分かるだろう(仮に地理的に一体でも言語が大きく異なるとすれば、それは特徴的な文化分布として学習対象となるはずである)。ということは、2つの国しか問題になっていないわけだから、フィンランド語は「B」だ。この時点で、答えは②か④に絞られる。
 しょせんアニメの話なので、バイキングについて書かれた話が、バイキングのいた国で書かれたという保証はない。だが、地理の問題として出題される以上は、歴史地理的事実を根拠に出来ないと困るので、バイキングのいた国でビッケが書かれたとすれば、それはノルウェーである。だとすれば、バイキングの何たるかさえ知っていれば、ムーミンというアニメ、もしくはその舞台を知らなくても、それがフィンランドのアニメであると分かる。以上により、正解は②である。解答不可能な、問題のある問題だとは思わない。
 問題文が「ノルウェーフィンランドを舞台にしたアニメーション」と書かれていたのが、混乱(言いがかり)の元だろう。「ノルウェーフィンランドに関係の深いアニメーション」としておけば、文句の付けようはなかったはずだ。
 さて、私は以上のこととは別に、すこし違うことも考える。それは、「常識」を根拠にした解答を求めることは可能か?という問題である。上のように考えれば、ムーミンを知らなくても正解は得られるにせよ、ムーミンを知っていることは「常識」だ、教科書に載っているかどうかはどうでもいい、という前提で問題が作られていたら、それは許されるかどうか、ということである。具体的に言えば、ビッケではなく、誰も知らないようなノルウェーの絵が示されていて、それをノルウェーと結び付けるというような、いわば消去法でフィンランドを探すのではなく、どうしてもムーミンそれ自体を根拠に、フィンランドを探さなければならない、といった場合だ。
 私は、そのような出題の仕方は「あり」だと考える。なぜなら、受験を意識するあまり、教科書に載っていることと載っていないことの間に価値の序列をつけるのは、あまりいいことではないと思うからだ。教科書に載っていることというのは、誰かの価値判断の結果として載っているものである。何かの知識が、教科書に載っていないから価値がないと考えるのは間違いだ。世の中には、教科書に載っていなくても、新しい社会問題を中心に、それを知らなければ「あんたは18年間何をして生きてきたの?」というような事項がたくさん存在する。
 もちろん、その事項が「常識」かどうかには慎重な判断が必要だ。たとえば、ムーミンは私にとって「常識」だが、それは、幼少期にムーミンが放映されていたからという世代的な事情があるかも知れない。キャラクターとして生き残っているのは確かだろうが、今の子どもたちがムーミンという番組を見る機会がどれだけあったのかは知らない。
 だが、そんなことを言っていてはきりがない。ムーミンはともかく、数名以上の出題者が熟慮の上で「常識」と判断した事項であれば、多少の問題はあっても正当根拠にしてよい。教科書だけを基準に「いる」「いらない」と知識を打算的に選別する心性が育つようになるよりはよいのではないか?それが入試の「公平」を害することにもなるまい。「常識」を身に付けることも実力のうち。今時の生徒が知っていそうにもないが、生徒に「常識」と考えて欲しい事項を「常識」として解答根拠にする、という気概が入試を行う側にあっても面白い。