学力と幸福度



 11月25日付け『毎日新聞』の「くらしナビ 学ぶ」欄に、OECD国際成人学力調査というものの結果に関する記事が載った。日本人の学力低下は大人も深刻・・・といった記事ではない。見出しは、「イタリア学力「最低」の背景」というものである。それによれば、OECD24カ国の成人(16〜65歳)を対象に「読解力」「数的思考力」「情報技術活用力」の調査をしたところ、「読解力」(以下「読」と略)と「数的思考力」(以下「数」と略)の分野で、イタリアとスペインがビリ争いをした(「数」は23位イタリア、24位スペイン。「読」はその逆)。記事では、その結果を基に、なぜイタリア人は学力が低いのかについて多少の分析をしている。

 分析については割愛するが、私がこの記事を読んで真っ先に思ったのは、イタリア人やスペイン人は、そのことを問題だと思っているのかな?ということだ。私の勝手な印象によれば、イタリア人もスペイン人も、自分たちの文化を大切にしながら生活(人生)を楽しんでおり、両部門でともにトップの我が日本に比べて、はるかに幸せそうな感じがする。

 と、ここまで考えて思い浮かべたのは、国連が今年発表した『世界幸福度調査2013』(ギャラップ社「世界世論調査」に基づく)というものだ。そこには、2010〜2012年の世界各国の幸福度ランキングが載っている。それによれば、成績トップの日本は幸福度43位で、38位のスペイン以下、45位のイタリアよりわずかに上、という状況である。幸福度トップは学力で「数」7位、「読」15位のデンマーク、第2位は、「数」「読」ともに6位のノルウェー、第3位はOECD非加盟のため学力順位なしのスイスである。順当なところだろう。以下、オランダ(「数」4位、「読」3位)、スウェーデン(5位、5位)、カナダ(15位、12位)、フィンランド(2位、2位)・・・と続く。

 この手の調査は他にもあって、OECDの幸福度ランキングによれば、日本は36カ国中21位で、20位のスペインと22位のイタリアに挟まれている。イギリスの社会心理学者A・ホワイトが作った「世界幸福地図」で用いられている「人生満足指数」によれば、日本は178カ国中90位で、45位のスペイン、50位のイタリアよりもはるかに劣る。同じくイギリスの環境保護団体Friends of the Earthが作った「地球幸福度指数」(2009年)によれば、日本は143カ国中75位で、69位のイタリアよりも下、76位のスペインのかろうじてひとつ上、である。ちなみに、「幸せの国」として近年注目を浴びること甚だしいブータンは、国連調査では対象外となっていて載っていないが、「人生満足指数」では8位、「地球幸福度指数」では17位で、日本よりははるかに上位である。

 国連はその判定に当たって、富裕度、健康寿命、個人の自由な選択、人の寛大さ、社会的支援、汚職の多寡といった基準を用いている。その他の調査も、それぞれ独自に基準を設定しているので、見え方が違ってくる。しかし、私は、実感以外の「幸福」って意味あるのかな?と思う。お金があれば幸せとも限らないし、長い人生が幸せというわけでもない。ひとつの国の中にも、幸福度においていろいろな人がいるし、学歴が高い(=学力がある?)人の方が、低い人より幸せだとも言えない。だが、それらの調査は、総体としてみた場合、ある程度確かな現実を表しているような気がする。OECDから学力優秀のお墨付きをもらった日本は、幸福度において、成人学力ビリの国と同等もしくはそれ以下。いや、それどころか、世界の真ん中以下にすら位置付けられる存在なのである。

 つまり、日本は、その優秀な学力を幸福実現のために有効に使えていない。それは、学力を上げることが幸福実現の手段として意識されておらず、自己目的化しているか、そもそも自分たちが手に入れるべき幸福を持っていないかではあるまいか?まず学力をどうするかという議論ではなく、何が幸福か、どのようにしてその幸福を手に入れるか、を考え、その中で「学力」が必要だとなればつければいいし、そうでなければ気にするには及ばない。1位だからといって、どうした、というものでもない。