自分の幸せを探す



(9月19日付け学級通信より)


 台風一過、本当にさわやかな秋晴れが続いている。今日は仲秋の名月(十五夜)。このさわやかな空気の中で、クリアーな月を見ていると、昔の人がなぜ秋の月を愛でたのかが分かるような気がしてくる。

 ところで、なぜか新聞記事等にはならなかったが、9月10日のCNNの報道(ネット)によると、アメリカのコロンビア大学が2010年〜12年に世界156カ国の国民の幸福度を調査した結果が発表された。日本は43位で、先進諸国の中では最下位だったそうである。

 調査方法等についての詳しい情報がないので何とも言えないが、私が心配するのは、この結果を見て、「さあ大変だ、幸福度の順位(国際ランキング)を上げるためにはどうしたらいいだろう?対策を考えなくちゃ」と動く人(政治家)が現れることである。

 というのも、例えば低学力が問題とされた時のことが重なり合ってくるからだ。全国一斉学力テストの順位が下から何番だということが話題になった時に、学力(点数)が上がればどんないいことがあるのか、ということを考えず、点数さえ上がれば幸せになれる、点数が低いのは不幸であり悪であるという幻に取り付かれて「対策」を取るとどうなるか。点数は上がっても、ただそれだけ。その過程の苦労によってますます幸せから遠ざかってしまうかも知れない。お金も同じ。経済、景気という言葉を耳にすることは多い。生きていくために最低限のお金が必要なのは確かであるにしても、あればあるほど幸せになるというものでもない。にもかかわらず、なぜか全てに優先して経済の活性化を求める。どうも、今の世の中にはこんなことが多い。

 幸福度のポイントを上げるためにあくせくして、ますます自分の首を絞め、幸福から遠ざかるというばかげた事態は避けたい。大切なのは、自分にとって何が幸福なのか、そこをよく考えることである。比較の中で生きることは常に苦しい。他の人はどうだっていい(=他人に迷惑をかけてもいい、ということではない)。自分にとって何が幸せで、それを実現させるためには何をすべきか・・・頭は常に「絶対値」で考えるべきなのである。


期末考査に関する記事省略)


【汚い教室をどう考えるか?】

 清掃コンクールで「万年ビリ」も板に付いてきた。結果が発表される度に、諸君があまりにも嬉しそうに盛り上がるので、文句を言うファイトも湧かない。そもそも、教室が汚いと言えば、諸君の存在そのものがゴミなのだから、どうしようもない(←例によってブログにアップした時に、「教師による言葉の暴力だ!」とか言って問題視する人が現れると、諸君は益々盛り上がるだろうね)。

 清掃(コンクール)についての私の考え方は以下の通りだ。

・1年生の時に、何回か、減点された理由を公開して欲しい、とお願いしたが、実現していない。これは、コンクールで校内清掃を徹底させようという意識が本物でないということだ、と私は思っている。

・班による温度差はあるが、私がまじめに監督・指導をしない割に、担当の諸君はまじめに掃除をしている、と思っている。

・私が監督をまじめにしないのは、掃除が、人に迷惑をかけることなく、諸君自身の力に任せることができるほとんど唯一の時間だと思っているからである。

・E3の教室は狭苦しく雑然としているが、特別に汚い、とは思わない。

・しかし、今のE3の教室に、生徒としているのは嫌だと思う。教師の立場で、滞在時間をできるだけ短くする努力をしている(笑)。

                   ま、がんばってくれたまえ。

 

(裏面:9月14日付け『日本経済新聞』Nikkei Plus 1より、「エコノ探偵団〜未来予測どうやってやるの?」を引用

平居コメント:未来予測の確実性を私は信じていないけれど、話としては面白く、勝手な空想は楽しい・・・。)