仕方ないこと、仕方なくないこと

 この1週間、怪我っぽい。日曜日に走りに行った時、マンホールの蓋につまずいた。下り坂でスピードが出ていたこともあって、かなり派手に転び、右膝、左の手のひら、右手甲の一番右の部分、右肩をすりむいた。肩の傷は特に痛みがひどい。一昨日は、ちょっとした用事があって外でお酒を飲んだ。22時ころに帰宅してから、朝食用のスープを作っておこうと思って包丁を握った。キャベツを切っていた時、うっかり左手親指の先を刻んでしまった。わずかに2〜3㎜くらいのものなのだが、傷口が線ではなく面なのでたちが悪い。結構出血してずきずき痛む。まだ痛みは引かない。
 さもない怪我でも、痛いのは不愉快だし、何かにつけて不便である。左手の親指の先が使えないと、ボタンをかけるという作業がこれほど困難になるのものか、と驚く。健康であることは有り難い。
 話は変わる。
 草津白根山で突然の噴火があり、1人が亡くなった。映像を見ていると、よく1人で済んだな、と思う。この話は何を今更。
 そうこうしているうちに、久々、蔵王火山性微動が観測されたとか。昨日、警戒レベルが2に引き上げられた。ああ、これでまた高校山岳部は蔵王での活動を自粛、という話になるのだろうな。例の那須雪崩事故で締め付けが厳しくなったと思ったら、火山活動による制約まで生じてきた。春以降の山岳部活動はどうなるのだろう?来年の県総体会場が蔵王でなかったのは救いだ。
 草津白根山の事故から1週間以上が経ち、例によって火山活動の監視強化の話やら、噴火時の対策やらの話が聞こえてくる。今回の爆発だって何の前触れもなかったらしいのだから、いくら監視強化しても、駄目な時は駄目。人間の力で自然を把握することには限界がある。限界を超えようと努力しすぎると、社会の経済負担が大きくなりすぎたり、平時の生活に不便が生じたりしてきてしまう。自然に対して謙虚に、そして、あまり無理をしない方がいい。
 「2度とあってはならない」という言葉を聞くことが多い。一方で、「仕方ない」と言うことが、どんどん言いづらい世の中になっていると感じる。火山活動で人が死ぬことについても、「仕方ない」では済まされない雰囲気だ。そういう社会は窮屈である。もちろん、人為的な悪について「仕方がない」と言う気などさらさらない。が、昨日も書いたとおり、運を天に任せて生きている私としては、安全安全と言って不自由が増すよりは、リスクがあっても自由にさせてもらった方がよほどいい。各自、自分の五感に基づく判断をもっと大切にすべきであり、それを防御の限界としていいのではないか?
 また話は変わる。
 日本相撲協会の理事選である。貴乃花親方が立候補した。つい先日、解任処分を受けたばかりである。解任された当時、間もなく理事選があって、それで返り咲くことが可能だから、処分はかなり形式的なものだ、という噂が飛び交っていた。
 私はそれを聞きながら、え?貴乃花に投票する人がいるの?そんなことしたら相撲協会は今以上に恥をさらすことになるだろ?と思った。貴乃岩をめぐる親方の言動は正に異常。それを見守るしか出来なかった相撲協会という組織も異常である。その上、解任したばかりの理事が、理事選に立候補することも可能で、それが10票ほどの票を集めて当選できるとなれば、もはや組織の体は為していない。貴乃花親方の当選は、「2度とあってはならない」ことであって、「仕方のない」ことではない(笑)。人為だから・・・。
 親方の権限が強いだけではなく、「○○一門」という派閥があって、そこも相当の力を持っているらしい。なんだかチンピラ集団みたいだ。貴乃花親方は貴乃花一門に所属していて、そこからはもう一人、阿武松親方も立候補しているから、どちらかは落選するだろうということだが、果たしてどうなるか?
 明日の理事選というのを楽しみに見させてもらおう。